三宅香帆「なぜ働いていると本が読めなくなるのか?〈教養やノウハウを身につけるための読書〉から解放され、ノイズを楽しむ読書に」
『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』『名場面でわかる 刺さる小説の技術』の著書を持ち、文芸評論家として活躍中の三宅香帆さん。会社員として勤務していた当時、「本を読みたいのに読めない」状態に悩み、そして多くの人が同じ悩みを抱えていることに気付いたと話します。この問題は個人より社会の問題ではないかと考え、読書と労働の変遷について調べてみたところ――。(構成:山田真理 撮影:小石謙太) 【書影】『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆:著) * * * * * * * ◆読書は未知との出会いの場 読みたくて買った本なのに、ページを開く気力がない。読み始めても、途中で止めてしまう――そうした悩みを同世代の働く友人たちから聞いたのが、本書を執筆するきっかけでした。気づけばなんとなくスマホをいじって、SNSやゲームで時間をつぶしていると。それは単純に、「忙しくて時間がない」とは別の問題だと言います。 私も同じような体験を、社会人1年目に経験していました。幼い頃から本の虫で、それが高じて文学部に進み、大学院在学中に書評家として活動を開始しました。それなのに就職後は書店に足が向かなくなり、好きな作家の新刊さえ追えなくなっていた。 そんな生活に耐えきれず、3年半で会社を辞めました。当時の体験や友人の声を文章にしてネットに公開したところ、「自分もそうだ」という声が驚くほど寄せられたのです。 「働いていると本が読めない」という問題は、個人というより社会全体の問題なのではないか、とそのとき直感しました。 また、前職で人材派遣や転職サービスに関わるうち、「日本人はどのように働いてきたか」という労働の歴史にも興味を持つようになって。そこで、働く人たちはどのような本を、どういった目的で読んできたのか、読書と労働の変遷について考察したのが本書です。
◆ほしい情報や正解に最短距離で 調べてみると興味深い関連性が見えてきました。読書の習慣は明治以降、一部のエリートから国民全体へと広まっていったのですが、いつの時代も労働者を勇気づける本がベストセラーになっています。 たとえば1871年に翻訳され、明治の青年たちを鼓舞したサミュエル・スマイルズの『西国立志編』。疲れたサラリーマンの妄想物語とも読める谷崎潤一郎の『痴人の愛』。また、高度成長期に愛読された司馬遼太郎の作品群は、持ち運びに便利な文庫本の登場と同時期に流行しました。 ですから、通勤中に気持ちを高める自己啓発本のような読み方をする人も多かったと考えられます。なじみのある作品も、「労働」という視点から読み直すことで新しい読み方ができる。執筆のための調べ物は、大変だけど楽しい作業でした。 平成から令和に入ると、長引く不況で日本人の労働に対する意識は大きく変化します。非正規雇用が増え、短期間での転職が当たり前になるなかで、「キャリアアップは自己責任」といった新自由主義的な価値観が一般化しました。 読書は、プライベートの時間を割いて仕事のための教養やノウハウを身につけるためのもの。ほしい情報や正解に最短距離で導いてくれなくては効率が悪いのです。そう考える若者たちにとって、それ以外の情報は不必要な「ノイズ」にすぎない。 たとえば、ある出来事についての歴史的背景や古典的教養、小説における予想外の展開や伏線を読まされるのが、「しんどい」と感じてしまうのです。
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