「ベートーヴェンからアフリカのリズムが聴こえる」ジョン・バティステが語る音楽の新しい可能性
世界各地のアーティストを迎えた『World Music Radio』で作風をそこまで広げるかと驚かせたジョン・バティステ(Jon Batiste)。彼は音楽における「自由」みたいなもの、例えばジャンルに捉われないことに常に意識的だ。 【動画を見る】ジョン・バティステが演奏するベートーヴェン楽曲 そんな彼の最新アルバムはソロピアノ作品。3曲の自作曲を除いて、全てがベートーヴェンの楽曲を演奏しているという、前作ともグラミー賞で8部門ノミネートされた『WE ARE』とも全く異なるベクトルのサウンドだ。 しかも、単なるクラシック音楽の名曲カバー集ではない。そこにはジョン・バティステらしい意図が聴こえてくる。タイトルに『Beethoven Blues』と名付けているように「エリーゼのために」や「運命」からアメリカのブラック・ミュージックの要素が聴こえてくるチャレンジングなアルバムだ。 どのアルバムにも様々な意図や文脈を仕込んできたのがジョン・バティステ。今作についてもおそらく彼には語りたいことが山ほどあるはずだ。しかも、このアルバム以前には交響曲「アメリカン・シンフォニー」をカーネギーホールで披露していること、『WE ARE』収録の「MOVEMENT 11’」がグラミー賞のクラシック現代作品部門にノミネートされたことが物議を醸したことなどがあり、ここに至るまでにジョン・バティステとクラシック音楽の間にはいくつかのトピックがあった。それもあってドキュメンタリー映画『アメリカン・シンフォニー』の中で何度も自身とクラシック音楽の関係にも言及していた。 この取材ではそんな経緯を経て、彼が今、どんなことを考えているのか語ってもらった。その話は今日、多くのジャズミュージシャンたちが向かい合っている「現代における新たな黒人性」の模索とも繋がっていた。
ベートーヴェンの音楽が変貌しうる可能性
―『Beethoven Blues』のコンセプトを教えてください。 ジョン・バティステ(以下、JB):コンセプトは……言ってみれば、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの音楽に、ジョン・バティステ、つまりこの僕の発想から生まれる音楽的および文化的レファレンス、時には新たなテーマやセクションすら加えて、より拡張された音楽にするということだね。 ―あなたにとってベートーヴェンはどんな作曲家ですか? JB:最高峰の作曲家だ。ベートーヴェンの音楽は誰もが楽しめる。彼の音楽で盛り上がることもできるし、結婚式や誕生の場面でも葬儀でも演奏できるし、あらゆる年代の人々の音楽だ。シンプルなのに複雑で、洗練されているのに親しみやすい。ベートーヴェンはヨーロッパのクラシック音楽の形式を拡張させ、確立させた。まさに時代を超えたあらゆる音楽の象徴と呼べるのがベートーヴェンだ。 ―ピアノソロでクラシックの作曲家の曲を取り上げるなら、バッハとかショパンとか他にも大勢いますが、なぜベートーヴェンだけを演奏したのですか? JB:ベートーヴェンが唯一無二の存在だからだ。僕にとって、長年子供の頃から演奏してきた音楽と学んできた音楽との間につながりを築くことが、音楽の旅そのものだった。音楽は修練の道だ。ベートーヴェンの作品には、様々な音楽的方向性や含蓄が詰まってる。リズム的には驚くほどアフリカ的なアプローチが見られる部分もあって、そこから導き出せるものには、他のどんな偉大な作曲家にもない独特なものがあるんだ。 そのいい例が、クリス・ウォレスと行なったインタビューで、ベートーヴェンの「エリーゼのために」を例に挙げて、ゴスペルからジャズ、クラシック、そしてブルースまで次々とスタイルを変えて演奏したこと。1分間のその映像は世界中に広まり、たくさんの人から「この曲をレコーディングする予定は?」「クラシックのアルバムを作るつもりは?」と言われた。これは、そうなるべきタイミングなんだと思った。僕もいつかやりたかったことだし、世間もそれを求めている。しかもその時は『World Music Radio』をリリースし、「アメリカン・シンフォニー」も終え、次のアルバムの制作は本格的には始まっていなかった。ちょうど狭間だった。それで、ブルックリンの自宅のスタジオでピアノに向かい、2日間でレコーディングをし、2カ月も経たずにリリースしたんだ。 ―なるほど。では、これまで最も研究したベートーヴェンの曲はどれですか? JB:アルバムで弾いた曲はどれも同じくらい学んできたよ。でも研究した曲は他にもたくさんある。だからもしかしたら、ピアノ・シリーズのVol.2として、ベートーヴェンの世界をさらに探求するかもしれない。もしくは、もう一人のお気に入りであるショパンをやるかもしれない。僕がひとりで作った一枚目のアルバム『Hollywood Africans』(2018年)の「Chopinesque」はショパンを再解釈した曲だった。そもそも今回、ピアノ・シリーズをスタートさせようと思ったのもそういうこと。大きめの編成のプロジェクトが続いたあとは、ピアノに戻って向き合い、余計なものを取り払い、シンプルなアレンジの音楽に取り組むのが、僕にとって自然なパターンだってことだね。 ―「Chopinesque」や『Beethoven Blues』のようなプロジェクトを、かなり以前から構想していたということですかね? JB:そうそう! 子供の頃からね(笑)。いつもクラシック音楽は僕にとって特別なものだったし、演奏する時は常に作曲家と共演する気持ちだった。楽譜に書かれた通りに弾くんじゃなく、そこに自分なりのアイディアを加えて弾いていた。その後、ジュリアードで本格的にクラシック音楽の歴史を学び、ベートーヴェンを筆頭に多くの偉大な作曲家たちが、実は瞬時(spontenous)に作曲をしていたことに初めて気づいたんだ。彼らはいわば即興演奏家。現代のジャズ・ミュージシャンと一緒で、彼らはその場で音楽を生み出していた。でも、それを「即興」と呼ぶのはちょっと違う気がして……。だって即興なら誰でもできるけど、彼らは学んだことや経験のすべてをその瞬間の作曲(spontaneous composition)に込めていた。もしベートーヴェンが今の時代に音楽を演奏したら、毎回同じ演奏にはならなかったと思う。彼も音楽も演奏するたびに進化しただろう。その意味で、このアルバムはクラシック音楽本来の在り方に近いものだと思うし、よりこういったアプローチに戻るべきなんじゃないかと、僕は思うんだ。 ―先ほどの「ベートーヴェンのリズムのアプローチにはアフリカに通じるものがある」という話を、もう少し聞かせてもらえますか? JB:アフリカ音楽というか、アフリカのディアスポラが生み出したアメリカン・ブルースのシャッフルのリズムは、二つの異なる拍子を同時に用いるという考えに基づいている。例えば、1-2、1-2の2拍子と、1-2-3-4-5-6、1-2-3-4-5-6の6拍子が同時に存在し、演奏される。つまりはマーチとワルツの組み合わせってこと。この世界で最初のリズムとも呼べる、西アフリカのディアスポラから生まれたドラムサークルの音こそ、ベートーヴェンの音楽に色濃く表れ、彼が欧州クラシック音楽に新しいリズムの考え方を取り入れた一例だ。ベートーヴェンが革新的だったのはハーモニーやメロディだけじゃない。リズムに関してもそうなんだ。同時に複数の拍子が用いられるというのは、アフリカのディアスポラの概念の継承と言えるものなんだよ。 ―なるほど。 JB:ベートーヴェンの最も有名な作品でも、必ず2拍子と3拍子が同時に演奏されるんだ。ジャジャジャジャーン[運命(交響曲第5番)のメロディ]が乗るのは、1-2 1-2、1-2-3-4-5-6 1-2-3-4-5-6 のリズム……(歌う)つまりアフリカの6/8のリズムが聴こえたんだよ! そこから「交響曲第5番- イン・コンゴ・スクウェア」は生まれた。偉大なアーティストというのはそうやって、生まれ育った文化的要素に他の文化的要素を取り入れ、融合させるものだ。例えばピカソがスペイン以外の様々な文化を取り入れたように、デューク・エリントンもアジア・ツアーに触発されてアメリカのブラックミュージックと極東を融合させた『Far East Suite』を作った。そんなふうに、僕がソーシャル・ミュージックと呼ぶ音楽コンセプト、つまり異なる文化やコミュニティの経験をつなぎ、自分自身の特別な何かに昇華させるという考え方を示す例はたくさんあるんだ。天才とは自分に最も忠実だ。それは世の偉大なるアーティストに共通する特性だよ。 ―つまり、今回あなたがやったことは、ベートーヴェンを再解釈するだけでなく、これまでにあなたが演奏してきた様々な音楽要素がベートーヴェンの中に実は隠れていたので、それを掘り起こして演奏したとも言えるのかもしれませんね。 JB:ああ。それは「人間的なコンセプト」の中には存在していたけど、直接的に「音楽」としては表現されていなかった。だって(アフリカ的なリズムは)まだ(ベートーヴェンの時代には)発明されていない音楽だったからね。でも音楽が生まれ変わり、進化を遂げた今の時代に聴くと、ベートーヴェンの音楽の中にあった要素がいかに変貌しうる可能性を秘めていたかがわかる。実際、僕は何年も音楽を学び、考察し、音楽をコネクトさせることで、それを現実に変えることができた。 そして、もしベートーヴェンが今の時代に音楽を作っていたら、それを反映していただろうと思ったんだ。それで、ベートーヴェンが生きていて、僕と対話をし、僕とコラボレーションをしたら、こんな音楽になるんじゃないかと想像してみた。「エリーゼのために」が(アルバム中に)2バージョン収録されているのもそれが理由だ。これは今の時代の「エリーゼのために」がどうなりうるか、その無限の可能性のうちの2例に過ぎないんだよ。さらに例は増えていくはずだよ。だって、この曲はライブで演奏するたびに、同じ曲にはならないから。テーマは同じで、構造も似ていたとしても、その瞬時のエネルギーを取り入れれば、作品は進化させ続けることができるんだ。