「ベートーヴェンからアフリカのリズムが聴こえる」ジョン・バティステが語る音楽の新しい可能性
歴史と技術を学び、真実を伝えること
―ちなみに今回は譜面に書いたり、事前に編曲をしていたのか、それともほとんど即興なのか……どうでしょう? JB:例えば「エリーゼのために」は長年演奏していたし、どう弾くべきかを考えてきた曲だ。だから、8割のアレンジは頭の中にできていた。でもそれはあくまでも頭の中の話で、実際に演奏する時はその場で作り上げる形だった。一旦、演奏を始めると色々なことが起きるし、新しいアイデアが浮かんでくる。それをその場で取り入れていくんだ。そんなふうにいくらでも頭の中のスコアから離れ、また元に戻れるのが、瞬時に作曲する方法の魅力なんだ。ほとんどの曲でそんなプロセスをとったよ。演奏前に、ある程度構成し、ピアノに向かい、弾く。その場で新しい発見があれば、頭の中で組み立てたものにそれを取り込みながら演奏を続ける……というように。 ―特にその場で作った要素が多い=即興的なのはどの曲ですか? JB:アルバム中の曲なら「ライフ・オブ・ルートヴィヒ」。あれは瞑想のように捉えたいと思った曲。僕はそういう曲をストリームと呼んでいるんだ。水の流れや、意識の流れ、あるいは神から溢れ出る何か。人はストリーミング(配信)サービスで音楽を聴くけれど、これは神から送られ、届けられる何かだ。ピアノの前に座り、僕はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの音楽のバイオグラフィを数分で表したいと思った。だから聴けばわかる通り、曲はどんどんと進んでいく。最初から最後まですべてその場で作曲をし、ワンテイクで録音した。曲は瞬間ごとに、彼の人生に訪れた試練の数々を表している。そんな中、彼が聴力を失う瞬間が訪れ、そこでは調が変わり、彼の無意識の思いが聴こえてくる。つまり曲全体が彼の人生を音楽で表すアレゴリーなんだ。 ―今作では「交響曲第5番 - ストンプ」「月光ソナタ - ブルース」など、原題の後にその曲の性質を示す副題のような言葉がついています。結果的に出来上がったあと、ストンプ、もしくはブルースになったからそう名付けたのでしょうか? それとも最初から「第5番をストンプでやろう」と考えたんですか? JB:音楽が僕に何をすべきか教えてくれたという感じかな。例えば「月光ソナタ」の第1楽章からはマイナーブルースとも言うべき、深い情感が感じられる。そこで同じマイナーブルースのイディオムで、”月光”の対となる”夕暮れ”の「ダスクライト・ムーヴメント」を(自身の新曲として)書いたんだ。 「交響曲第5番- ストンプ」に関しては……元の「交響曲第5番」に多くのリズム的な含みがあるので、「エリーゼのために」を2つのバージョンにしたように、「第5番」でも同じテーマから2つの解釈の可能性を示したいと思ったんだ。1つは「ストンプ」。こちらは初期のストライドやラグタイムに近いスタイルだ。もう一つはアフリカン・ディアスポラの6/8のリズムの「イン・コンゴ・スクウェア」というわけだ。 ―ラグタイムの話題が出たので伺いたいんですが、ドビュッシーの「ゴリウォーグのケークウォーク」や……。 JB:YEAH!!! ―(笑)他にもストラヴィンスキーの「ピアノ・ラグ・ミュージック」はクラシック音楽として聴かれていますが、ラグタイムからの影響を反映させた曲です。クラシック音楽とラグタイムの関係を考えると、『Beethoven Blues』であなたがやったことは一見挑戦的にも見えつつ、実は何度も行われてきたことで、ものすごく自然な方法だとも思えるのですが、どうですか? JB:ああ、ものすごく自然なことだ。でもクラシック音楽を始めとした音楽を取り巻くコミュニティには、狭い考えに囚われ、音楽を区別したり、何が本物で何がそうでないかを定義したがる人もいるので、そういう人たちには挑戦的に映るんだろうね(笑)。権威とか基準を守る役割を持つ、いわゆる”門番”がいることも重要だ。でもそういった権威を持つ人たちが考える規制の枠を超えて、別の方向へと挑戦することも大切だ。自分たちが何なのか、自分たちが何者なのかを見失い始めると、本質が見えなくなる。本質に戻って、真実を表現する者が必要になるんだ。 ―そもそもジャズはヨーロッパのクラシック音楽やフォークソング、アフリカに由来する音楽、カリブ海の音楽、そういったいくつもの要素が混じり合って生まれた音楽でした。あなたがこのアルバムを作ったこと、ドビュッシーが「ゴリウォーグのケークウォーク」でやったこと、実はベートーヴェンの中にアフリカ的な要素があること……それらはすべて繋がっていて、音楽は簡単にジャンルで捉えられないことの裏付けになっていると思ったんですが、どうでしょう。 JB:そうだね。音楽とは繋がっているものだ。でも現代の音楽業界や、何を聴き、どう受け取り、どう教えられるべきかを決めたがる色んな人たちの影響で、音楽が僕たちの生活に届く方法が歪められてしまっているんだ。だからこそ、僕らアーティストが音楽の歴史と技術を学び、音楽を通じて真実を伝えることが必要になる。自分たちをジャンルの枠に閉じ込めないようにするのが大事なのは、そのためだ。だって、優れた音楽が生まれるときに、もともとそんな枠があったわけじゃない。それは真実ではないよね。音楽は人間の営み、つまり人々が形成する集団やコミュニティを通じて、互いに学び合う過程から生まれるものだ。それは一人の人間から始まることもある。僕は普遍的なものとパーソナルなものを融合させることが大切だと思うんだ。今は、パーソナルなことばかりが注目され、あらゆる文化と人類の普遍性とのつながりが忘れられがちなんだよな……。 ―今、あなたが言ったような感じで、いろんなものが奇跡的に混じり合って、新しい音楽が生まれてしまったのが「ブラック・アメリカン・ミュージック」の面白くて不思議なところですよね。僕はこのアルバムを聴いて、あなたはそれをあなたらしい新しい形で見せようと思ってるんだろうなと思いました。 JB:100%、それが今日の音楽カルチャーにおける僕の役割だと信じているよ。 ―それこそがつまり「ソーシャル・ミュージック」だと。 JB:その通り! ソーシャル・ミュージックという概念は、最初から僕のすべての作品の土台だったんだ。