『アイ・ライク・ムービーズ』を徹底レビュー!「悔しみノート」の梨うまいが、大人ぶりたい少年の物語を通じて見つけた真の大人になる方法とは?
レンタルDVDが全盛だった2003年カナダの片田舎を舞台に、人付き合いが苦手な映画好きの高校生が挫折を経て成長していく姿を描いた青春映画『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』(公開中)。本作では、ニューヨーク大学でトッド・ソロンズから映画を学ぶことを夢見る17歳の高校生、ローレンス(アイザイア・レティネン)が、学費の捻出するために働き始めたアルバイト先のビデオレンタル店の店長、アラナ(ロミーナ・ドゥーゴ)や個性あふれる従業員たちとの関係を通して、社会の厳しさや楽しさを知り、自分自身を見つめ直していく姿が描かれる。 【写真を見る】”大人の役割”を演じ続けている女性、アラナの物語に注目! 映画監督になる夢を抱きながらも、学校やバイト先では皮肉な言動で人を遠ざけてしまい、家ではシングルマザーである母親と素直に話すことができない不器用なローレンスの姿は、痛々しくもどこか懐かしさを感じさせる。今回、思春期真っ只中のローレンスと、かつて女優を目指していた過去があるアラナの二人どちらにも共感したという、エッセイ本「悔しみノート」の著者、梨うまいがレビューを寄稿。“大人”ぶりたいローレンスと、“大人”になったフリをするアラナの姿から、本当の意味で“大人”へと成長するためのヒントについて綴ってもらった。 ※本記事は、ストーリーの核心に触れる記述を含みます。未見の方はご注意ください。 ■もう一人の主人公、アラナの物語が青春を過ぎた大人に刺さる イタい青春に覚えがある全ての人へ。『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』は、青春真っ只中というよりも、もう通り過ぎて当時のイタさを自省できる人に観てほしい、そんな作品だ。本作の主人公、ローレンスは映画好きの高校生で、自意識過剰が服を着て歩いているようなイタい青春の権化たる人物だが、そんな彼をどこか冷静に、そして羨ましそうに見ているレンタルビデオ屋の店長、アラナこそ、実はこの映画のもう一人の主人公なのではないかと考える。 夢見る映画オタク少年の成長物語『アイ・ライク・ムービーズ』が表テーマとするならば、その裏には、かつて夢見る少女だったアラナの『アイ・ヘイト・ムービーズ』というもうひとつの物語が濃密に描かれている。現在30歳、大学で演劇を専攻し、小さな舞台に立っていた過去があるなんて微塵も匂わせずに書店でアルバイトしている私は、この“B面”がハートにぶっ刺さってしまった。 「I like movies」ローレンスがこの台詞を口にするのは、バイト先であるレンタルビデオ店での深夜に及ぶ棚卸作業の後、午前2時。車で家まで送り届けてくれる店長のアラナと二人きりのシーンだ。「I like movies」、彼は確かにそう言っているはずだが、なんだかほとんど「I love you」に近い響きを持っているように聞こえる。たぶん、それほどに純粋な愛を伴った言葉だった。 映画好きを自称する彼の言動は、その多くが彼自身のものではなく、彼の好きな映画や監督からの借り物に過ぎない。“本物の映画”とやらを観て、頭ではなんでも分かった気になっているが、現実世界の彼は自分でレンタルビデオの延滞料金も払えないただのガキんちょである。きっと大人ぶったクソガキ時代は、映画好きに限らず誰の青春にも存在していて、観客はローレンスの姿を通していかに自分が愚かで未熟であったのかを痛みと共に思い知ることになる。特に彼が母親に向かって「だれの人生も等しく厳しいんだ」と説教じみた台詞を浴びせかけるシーンは恥ずかしさと申し訳なさで頭がどうにかなりそうだ。まさに自分がローレンスと同じく10代だったころ、大人を言い負かしたと思った場面はいつも、その大人が“大人の役割”を引き受けてくれたに過ぎなかったのだと今更ながらに痛感する。 こうして彼を俯瞰的に見ていられるのは、青春映画にしては珍しく大勢登場する“大人”なキャラクターのおかげだ。学力もそれなりにあって、斜に構えたところのあるローレンスは、実際他の高校生と比べたら大人っぽいのかもしれない。が、しかし、レンタルビデオ店で働く大人たちに囲まれると、どこからどうみてもぶっちぎりで子どもだ。まんまるなお腹を揺らし、ぽてぽて店内を歩き回る様は、もうほとんど赤ちゃんに見える。映画序盤でこそ「そのうち痛い目見るに決まってんだからな、このクソガキ!」と、物語上おそらくは訪れるであろうローレンスの不運や失敗を意地悪に待ち構えていた私でも、彼が働きだしてからは、なるべくなら傷つかずに、派手に転ばずに、少しずつ大人になれますようにと祈らずにはいられなかった。 だって彼はまだ、ほんの子どもじゃないか。でなきゃどうして、あんなに無垢な「I like movies」が口にできるというんだ。普段借り物の言葉ばかりを口にしているぶん、ふいに零れ出た彼の本心からの言葉はひときわ美しくきらめいて、苦しいくらいに胸に染みる。運転席でアラナが一緒にこの台詞を聞いてくれてなかったら、私はあまりの青春の眩しさにあてられて、『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』は自分とは無関係の物語だと受け流してしまっていたと思う。 ■“大人”に見られようと必死に繕う日々を過ごしている私たち 「I hate movies」ローレンスとは正反対のこの台詞を、アラナはなんでもないことのように軽い音で発音する。しかしその姿は、“映画なんか大嫌い”と努めて自分に言い聞かせているようで痛々しい。本当に彼女が映画を嫌いなんだったら、レンタルビデオ屋なんかで働いているはずがないのに! ローレンスが過去の自分を投影できる存在なのだとしたら、アラナは現在の自分を投影できる――いや、再発見できる存在だといえる。 クソクソ言いながらもそれなりに楽しそうに働いている彼女は、一見クールに仕事をこなしているように見えて、実は積極的にジョークを飛ばし、人を楽しませるサービス精神に溢れたチャーミングな人だ。一年で最も憂鬱な棚卸しさえも、明るく踊り歌いながらこなしていく“棚卸しアラナ”に至っては、同じく棚卸しを経験している書店員として、もはや尊敬に値する。だって棚卸しって、本当にクソなわけ。この部分太字に出来たりしませんかね?「棚卸しって、本当にクソなわけ!!」 まあ、ともかく。アラナがかつて俳優を目指していた過去と、その若さと野心を弄ばれ、踏みにじられたトラウマをローレンスに語って聞かせ、「I hate movies」と改めて口にするそのシーンまで、私は彼女を単にレンタルビデオ店で働いている大人としてしか見ていなかった。ローレンスを散々お子ちゃま扱いしてきたが、私も彼と何ら変わりなく「アラナって素敵な大人の女性だな~」と間抜けにも憧れの眼差しを向け、彼女が初めから大人であるかのように勘違いしていたのだ。 バイト仲間の学生たちには、私はどんなふうに見えているだろう。掃除当番をじゃんけんで決めたり、くだらない話でケラケラ笑いながら帰路を共にしたり、結構楽しく働いているつもりだけど、「いい歳してなんでこんなところでバイトしてるんだろう」って思われているんだろうか。まあ、思われているんだろうな。仕事中困ったら頼りにしてくれるし、学校生活や進路の悩みも相談してくれる。 私も“大人として”彼らに応えるが、自分がどういう学生時代を経て、なぜまともに就活もせずフリーター生活をしているのか、演劇に対する愛と情熱と憎しみの話も、精神的にバランスを崩してまだ這い上がってる途中なことも、何一つ話していない。そんなこと聞かされても、困るだろうから。全部乗り越えて今の私があるのよ、なんて、きちんとした大人の顔して言い切れる自信だって無い。無意識のうちに私もアラナと同じく、“大人”として見てもらえるように、必死で繕って毎日を過ごしている。 ■ローレンスの大やらかしが破壊した、アラナの“大人”としての仮面 誰しもがかつて10代で、当然のように自分の理想の将来を思い描いていた。そして皆、恥をかいて、傷ついて、次第に自分がいかに恵まれていて、与えられていて、その実自分のものは何も持っていなくて、賢いつもりでいるだけのバカだったかを思い知っていく。ご多分に洩れずアラナもそのうちの一人で。理想の自分になれない苦しみを無理やりに押し込んで、ローレンスのような子どもが、ちゃんと子どものままでいられるように、必死で大人の役割を演じてきたにすぎなかったのだ。もしかしたらローレンスを雇うまで、アラナはもう少し自分のままでいられたんじゃないだろうか。店長という役割は果たさなくてはならなかったにしても、進路の相談を受けたり、家まで送り届けたりという“大人の役割”はしなくても良かったはずだ。ローレンスが羨望の眼差しでアラナを見る限り、彼女は身の丈以上の大人を演じ続けなくてはならない。彼女が苛立つのも無理はない話だ。 考えてみれば、私もまだ傷ついたままの子どもなのだった。あれっていったい何だったの?私ってあんなふうに裏切られて、傷つけられても仕方ないほどバカだったの?答えが欲しい、傷ついただけの見返りが欲しい。この人生への信頼を取り戻したい。きっと私だけじゃない、多くの人の中には途中で時間切れを告げられ、存在を無視された子どもが「まだ大人なんかじゃない!」と泣き喚いている。誰に“大人でいること”を強要されたわけでもないのに。そう、誰も直接求めてなんかいない。ただ、あなたや私の中の社会性や責任感、そしてプライドが歩みを止めることを許さず、“大人”という役を引き受けているだけなのだ。 好き好んで大人のフリをしようとするローレンスと、仕方なく大人のフリをしているアラナ。ふたを開けてみれば、力量の差はあれど、どちらも大人を演じていただけだったのだ。本当は、“ただのローレンス”と、“ただのアラナ”。でも職場というコミュニティで店長とアルバイトとしての関係をもって顔を合わせる限り、お互いにありのままでいることはできない。じゃあ、もしもコミュニティから外れたならば…?ローレンスの大やらかしが、そのもしもを実現し、結果としてアラナの“大人”の仮面を破壊した。 これから観る人には大いに楽しみにしてほしいのだが、映画終盤、もうびっくり、頭抱えちゃうくらいのやらかしをローレンスはぶちかまし、レンタルビデオ店に大損害をもたらしてくれる。もしこれが現実で、自分が関係者の立ち位置だったらマジで笑えないけど、スクリーン越しの他人事なので私はめちゃめちゃに笑ってしまいました。やらかしローレンスは自分で責任をとることすらできず、完全に子どもであることが証明されてしまい、これまでの苛立ちも相まって大爆発したアラナは、体裁をかなぐり捨ててブチギレる。落ち着いた大人像など見る影もない。もはや爽快である。「失敗を恐れるな」、みたいな名言やら格言やらって掃いて捨てるほどありますけど、まあ確かに自力で脱げなくなった鎧をこんなふうに不可抗力で打ち砕いてくれる点は良いですよね。あとからいくらでも笑い飛ばせるんだし。ローレンス、ナイス大失敗! ■自分の子どもな部分を認められた時、人は大人への一歩を踏みだせる 大人への第一歩は、自分を子どもだと認めることだ。そして必死に着飾っていたものを全て脱いで、未熟な姿を正面から見つめ、傷にはきちんと手当てをして、足りないところもなかなかチャーミングだわと鏡の前でにっこり自分に笑いかけてやることだ。 人からどう見られたいかというプライドから自由になったとき、人ははじめて「あなたの好きな映画は?」という問いに本当の意味で答えられる。互いにレンタルビデオ屋の従業員ではなくなり、ただのローレンスとただのアラナとして顔を合わせたカフェのシーンで、ついにアラナが「I hate movies」なんて言葉を覆して、嬉しそうにその問いに答えるのが、なんだかこちらまで嬉しくて、とてつもなく満たされた気分になった。さらにその作品のチョイスも、アラナという温かくてユーモアにあふれた美しい人柄を表していて、この先忘れがたい幸せな場面として心に焼き付いた。そして私は、私の人生を愛していける自信をこの映画から受け取った。 もし誰かに「好きな映画は?」と聞かれたら……散々悩んで絞り切れずに色んな映画の名前を挙げるとは思うが、その中に『アイ・ライク・ムービーズ』が入るのは間違いない。 文/梨うまい
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