想定内だった森保Jアジア杯初戦の苦戦…隠された狙いと残った問題点
思い出されるのは、アルベルト・ザッケローニ監督のもとで優勝した2011年のカタール大会である。グループステージ初戦のヨルダン戦は1-1のドロー、シリアとの2戦目も2-1の辛勝だったが、これで気持ちが引き締まり、決勝トーナメントに入って次々と接戦をモノにした。 それとは逆だったのが、前回の2015年大会だ。初戦でパレスチナを4-0で下し、3連勝を飾って決勝トーナメントに進出したが、UAEに敗れてベスト8であっさり散った。その両大会に出場した長友佑都が語る。 「2015年のときは上手くいきすぎて、決勝トーナメントに行っても気持ちが引き締まらなかった。甘く見てしまった部分もあった。でも、2011年のときは厳しい試合を戦いながら成長していった」 だから、長友は言うのだ。 「アジアカップの洗礼を浴びかけましたけど、自分としてはこのくらいでいいと思います」と。 もっとも、「アジアカップの難しさ」という幻影にとらわれすぎた面もある。 例えば、レフェリング。トルクメニスタン戦の前半は、球際での競り合いで後手に回る場面があったが、日本の選手たちに闘争心がなかったわけではない。 「ナイーブに入りすぎたなっていうのがあります。審判のことを意識しすぎて、あまり強くいかないように、ということを意識してしまい、それが裏目に出てしまった」 そう明かしたのは、吉田である。吉田自身、2011年大会で退場となった苦い経験があるから、肝に銘じていたのかもしれない。だが、トルクメニスタン戦の主審はワールドカップでも笛を吹き、アジア最高レベルの主審として名高いアリレザ・ファガニ氏だったのだ。実際、トルクメニスタン戦でも不可思議なジャッジはなかった。これなどは「アジアカップの難しさ」という幻影に惑わされた一例だろう。 あるいは、相手の戦い方について。トルクメニスタンは5-4-1の布陣を採用してきたが、決してベタ引きしていたわけではない。もともと旧ソ連の流れをくむチームであり、日本のサイドバックとセンターバックの間を突く速攻はコレクティブで鋭かった。相手の戦い方を正確に把握できなかった要因のひとつも、「アジアカップは難しい」という先入観にあったのかもしれない。