泥だらけの店内、よぎった「廃業」 能登地震に豪雨 二度の災害に見舞われたスーパー店主の思い
テレビ金沢
能登半島の北端、石川県輪島市の町野町。つぶれた家屋が連なる通りの先で、町に一軒しかないスーパーマーケット「もとやスーパー」は営業している。 3代目の本谷一知さん(47)と、父で2代目の本谷一郎さん(76)、母の理知子さん(73)は2000人ほどが暮らす小さな町で長年、店を切り盛りしてきた。 元日に襲った「能登半島地震」で震源に近いこの町は、ほとんどの住宅が全壊。店の隣にある本谷さんの自宅も、とても住める状態ではない。 【写真】豪雨で濁流に飲み込まれた店内 震災のあとお客さんは激減。真っ暗なスーパーの一角にベッドを置き、寝泊まりする一郎さん。寒さが体にこたえるが、元日の地震から1日も休まず、店を開け続けている。 「楽しい人生だね。地震が教えてくれたのは、やっぱり人の輪と家族の輪だね」
大量の在庫を廃棄することに…
元日の地震以降、多くの人が町から出ていき、この先戻ってくるのかわからない状況だった。店の近くの小中学校は避難所になり、転校を余儀なくされる子どもたちも大勢いた。 もとやスーパーの蛍光灯に明かりが戻ったのは2月中旬だった。店主の一知さんは、震災後、家族を大阪にある妻の実家に避難させ、客が激減した店の経営再建を模索していた。 「総額で言うともう1,000万円以上の在庫は眠っていたんですよ」 電気が止まったことで、冷蔵庫にあったものはすべて傷んでしまい、大量の在庫を廃棄せざるを得なかった。新たな仕入れを止め、客足が戻るまで、耐えるしかなかった。 近くの薬局で働く女性は、店をたたむことを告げにやって来た。 「 二次避難で行った人がどれだけ帰って来るかも分からんしね。これ以上の赤字はもう耐えられないし」 町野町は住民が減り、過疎が一気に進んだ。多くの店が廃業を選択する現状に、一知さんはため息をつくしかなかった。 まだ夜明け前の午前5時過ぎ、暗闇の中、車を走らせる一郎さん。 「明かりの数をチェックしに行くんです」 町から離れてしまった住民が、どれだけ戻ってきているか―。毎朝2時間ほどかけて地域をまわり、明かりがついている家を数えているという。 「あそこに1軒ありますね。この風景がいいですよ。電気来てる。ほら来てる!」 少しずつ、町野町に住民が戻り始めていた。「住民に店を育ててもらった恩義は忘れない」一郎さんは店の事業継続を決めている。