泥だらけの店内、よぎった「廃業」 能登地震に豪雨 二度の災害に見舞われたスーパー店主の思い
泥にまみれた店 よぎった「廃業」
「すぐそこまで来てる!」 一知さんが、店の屋上から撮影した動画には、濁流がうなりをあげて1階部分を飲み込む様子が映っていた。押し寄せた水は、ものの10分で高さ2メートルに迫っていた。一知さんは、なんとか2階に避難し、難を逃れた。疲れ切った顔で口にしたのは、「廃業」の二文字だった。 「もうこの場所で、店はやらない」ほとんどの商品が流され、泥にまみれた店内。売り上げの大きな柱となっている、移動販売用の軽トラックも流されていた。 一方、一郎さんは濁流に襲われたとき、商品を気にかけ、避難を呼びかける家族の声に耳を貸さず、売り場に残った。結局逃げ遅れ、台の上に乗って、命からがら背丈を超える濁流をやり過ごしたのだ。 「絶対にここでまた店をやる。地域の高齢者が店で買い物してくれたから、今の俺がある。やる前から恩返しを諦めるなんて、そんな変な話はないよ」 前向きな思いを口にした一郎さんだったが、泥だらけの店内でその声はむなしく響いていた。
かけつけたボランティア 芽生えた夢
数日後、店を訪れると、そこには多くの災害ボランティアの姿が。ニュースでもとやスーパーの危機を知り、泥のかき出しに駆け付けたのだという。「思いに応えたいよね」廃業を決めていた一知さんだが、頭にタオルを巻き作業にあたっていた。 「ここをフローリングにして、ここは宿泊スペース、売り場は縮小するけど、品揃えは豊富にするつもり。シャワールームも作って新しい業態にする」まだ真っ暗な汚れた店内で、夢を語った。 「豪雨の時、親父は店内に残った。その思いに応えたい」 店の隣にある建物は開放し、続々と届く支援物資を自由に持っていけるようにした 。売れる商品は無くとも、まずは住民たちが触れ合える拠点に―。復旧作業が進むにつれ、住民たちから、スーパーの再開を求める声も、日に日に増してきた。
店にあふれた人 歩み出した復興への道のり
11月。ようやく仕入れが再開し、店の一角に売り場を設け、仮営業にこぎつけた。本格的な営業再開に向け、陳列棚や冷蔵ケースの搬入も進んでいた。 「皆さんに支えられて、豪雨から2か月でここまでできた」 迎えた本格オープンの日。店は復活を待ちわびた多くの人であふれた。常連客に笑顔を声を掛ける一郎さん。せわしなくおでんを作る理知子さん。一知さんも陳列作業などに追われていた。 「これからも町野の人たちの思いに応えたい」 地震の後、町野町の人口は、約1割減少し、地域の過疎化がいっそう深刻になっている。どこまで、いつまで営業し続けられるのか―。 地震と豪雨の二重災害から、ほんの少しずつ歩み出した復興への長い道のり。 どんなときもこの町とずっと生きていきたい。必要とされる限り、町に一軒しかないスーパーをこれからも開け続けたい。 それが、本谷さん一家の願いだ。 ※この記事は、テレビ金沢とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
■取材を終えて
日々、震災関連のニュースを放送していた中、希望のある明るい番組を制作したいと思ったのが、取材を始めたきっかけです。地域を大切に思い、常に前を向く本谷さん一家から、私自身も元気をもらう機会が多くありました。豪雨ですべてを失った一知さんは、スーパーをもう一度デザインし直すと話します。再建に向かう本谷さん一家を、今後も見つめ続けたいと思っています。
テレビ金沢