泥だらけの店内、よぎった「廃業」 能登地震に豪雨 二度の災害に見舞われたスーパー店主の思い
並んだ食材 活気が戻った店内
3月。 「あっ来た。おっ動いた!」 震災後、初めて電源を入れた冷蔵ケースが懐かしいモーター音を響かせた。一知さんは3か月ぶりに仕入れた新鮮な野菜と果物をトラックに乗せ、近くにできた仮設住宅に向かった。 「もとやスーパーで~す!皆さん、いますか~?誰かいませんか~?」 静まり返った仮設に、大きな声が響いた。まだ入居は始まったばかりで、それほど多くの人が暮らしているわけではない場所だったにも関わらず、いつのまにか買い物袋を手にした人が集まってきた。みるみるうちにトラックのまわりには人だかりができた。 「イチゴ高いよ?あ、買うてくれるん、ありがとう!」 久しぶりの商いに一知さんの顔にも笑みが浮かんだ。 それから2週間後。「もとやスーパー」には、能登で水揚げされたばかりの魚をさばく従業員の姿があった。自宅の片付けがいち段落し、復帰することにしたのだという。 「さすがに20何年もやっとりゃ忘れんもんやね」 元日の震災以来、店に初めてお刺身が並んだ。 さらに、レジを担当する従業員も戻ってきた。まだ従業員全員とはいかないものの、少しずつ活気を取り戻し始めた。
未来見据えた中、再び襲った災害
ただ、一歩外に出ると、町にはいまも崩れた家がそのままに…。震災から数か月経っても、まるで時間が止まったかのような光景が広がっている。それでも、一知さんは未来を見据える。 「将来描いているビジョンとしては、奥能登の人全体、全部、友達になりたい。移動スーパーを通じて。だから10台ぐらいまわしたいよね。正直言ってね。それが目標」 4月中旬。この日、スーパーで行われたのはボランティアによる炊き出し。食材はすべて、スーパーから購入してくれた。お店の前のテントには、一知さんの呼びかけもあって、多くの住民が集まった。一郎さんも、その様子を嬉しそうに見守っている。 「みんな喜んでる。こんな笑顔、普通無いよ。やっぱりこれが最高よ。みんなのあの喜ぶ顔見てごらん、みんなの笑顔が満タンだ」 すべては、きっとうまくいく―。 しかし、その数か月後、町野町は再び、未曾有の災害に見舞われた。9月、能登で線状降水帯が発生したのだ。 いたるところで土砂崩れが起き、河川が氾濫。町野町も近くの川があふれ、濁流に飲み込まれた。