【鈴鹿8耐】”熱狂時代”が終わっても日本バイク文化はオワらない……鈴鹿8耐が持つ不変の魅力
2024年の鈴鹿8時間耐久ロードレースは、予選が行われた金曜から決勝レースの日曜までの3日間合計で、のべ5万6000人の観客を動員した(金曜:7000、土曜:19000、日曜:30000)。昨年は4万2000人(金曜:3500、土曜:13500、日曜:25000)だったので、昨年比で30パーセント強の増加だ。また、決勝日の人数だけを見れば、今年は2022年の2万8000人よりも2000人多く、新型コロナウイルス感染症の影響で中断した2年間を挟んで再開した後の大会では最も多くの観客を集めたことになる。 【ギャラリー】今年もアツかった! 2024鈴鹿8時間耐久ロードレース 実際のところ、レースウィークにパドックエリアやグランドスタンド裏を行き交う人々の様子を眺めてみた際の印象は、昨年と大差ないというのが正直な実感で、人数が昨年比で1.3倍多かったような手応えはあまりなかった。それでも発表された動員数がそういう数字になっているのだから、実際に増加していることはまちがいないだろう。 サーキットの正面入り口からグランドスタンド裏や最終コーナーにかけて、人の流れが大きく動きやすいエリアを歩いてみた際は、老若男女様々な年齢構成の人々を見かけたし、若い人たちのグループやカップルなども多く行き交っていた。これは昨年も同様で、腰を据えて観戦に来た風情の年季が入ったファンももちろん多いのだが、友人同士の街歩きの延長線上、といった様子で、ふらりと気軽に立ち寄った雰囲気の若者たちの数人連れをそこここで見かけた。 彼らがはたして10代後半なのか20代なのか、普段はバイクに乗っているけれどもこの暑さのためにあくまで軽装でやってきたのかどうか、というようなことは、外見からは知りようがない。だが、年配者から親子連れ、学生風のグループやカップル等々、幅広い年代の人々が会場を訪れているのは、商業スポーツイベントとして健全な姿だといっていいだろう。 今年の鈴鹿サーキットは、2001年4月2日から2009年4月1日生まれの人々を対象として、会場へ無料で入場できてサーキットパークのアトラクションが乗り放題、レース観戦も無料で楽しめるというキャンペーンを実施したそうだが、ライトなファンの若者グループが一定数いるように見えたのは、その情報が彼ら彼女たちのもとへ届いていたからという効果もあるのかもしれない。 もちろん、遙か昔のバイクブーム時代と現在の観客動員を比較すると、規模の違いは比ぶべくもない。あの時代を通過してきたオールドファン諸兄姉ならばよくご存じのとおり、1980年代から1990年代半ば頃までの鈴鹿8耐は日本の夏で屈指の大イベントで、観戦席は最終コーナー~グランドスタンド~1・2コーナーまで、文字どおり立錐の余地がないほどびっしりと埋まっていた。N山、という言葉に懐かしさをおぼえる人もなかにはいるだろう。レース結果は一般紙でも翌日のスポーツ面で大きく報道され、レース数日後の書店には8耐臨時増刊の速報号が何誌も並んだ。 そんな在りし日の古き良き時代と比べると、現在の8耐は以前ほど世間全体に大きくアピールしなくなっているのは事実だろう。バイクの国内市場が縮小の一途をたどり、レースに対する一般的な関心もバイクブーム当時からは低くなっている。しかも、1980年代や90年代初頭と比べると、今はそもそも世の中で行なわれるイベントの数が違う。 だが、それでもやはり8耐は、今も日本の二輪界で最大の〈お祭り〉だ。ホンダは相変わらずムキになって勝ちにくるし、世界選手権のいろんなカテゴリから何名もの選手たちが夏の鈴鹿を走りにやってくる。そして、8時間の波瀾万丈で濃密なドラマを満喫した人々は、週が明けてもしばらくの間は陶酔したような余韻に浸りながら日々を過ごす。 そんな8耐ならではの醍醐味は、昔も今もなにも変わらないのではないか。 動員数やイベントの世間的なメジャー感はかつてのような賑々しさと違っているかもしれないが、おそらくそれが現在の8耐の適正な規模なのだろう。スポーツイベントとしても、これくらいのスケール感でビジネスが今後もうまく回っていくのであれば、様々なステークホルダーにも満足のいく事業であり続けるだろう。 文化の継承には様々な形がある。あくまで原理主義的に伝統を固持するのもひとつの方法だが、時代の変化に応じて柔軟に形を変えながら続いていくのも、人間の知恵のあり方だ。たとえばオランダのダッチTT(MotoGP)は、TTサーキットアッセンのレイアウトを変え、開催日程を変えながら、来年は100年目の節目を迎える(第二次大戦と新型コロナウイルス感染症の影響により、それぞれ5年と1年の中断を挟む)。 今年45回目のレースが行なわれた鈴鹿8耐も、時代の変化に即応して規模や外側の姿を変えながら8時間耐久という核を残して50回、60回……と続いていけば、日本が世界に誇るスポーツ文化資産としてさらに大きな価値をそれ自身の裡から生み出していくことになるだろう。
西村章