古代の正月にはためく旗 奈良・藤原宮跡で遺構出土
律令国家誕生期の首都の清々しい空気感
古代の正月にはためく旗 奈良・藤原宮跡で遺構出土 撮影:岡村雅之 編集:柳曽文隆 THEPAGE大阪
奈良県橿原市の藤原宮跡で、重要な宮中行事の際、旗ざおを立てたとされる7基の柱の穴がセットで見つかり、発掘調査を行っている奈良文化財研究所が2日、現地説明会を開き、多くの古代史ファンらが詰めかけた。雄大な旗が元日朝賀の式典ではためいていたと考えられ、律令国家誕生期の首都の清々しい空気感が伝わってきそうだ。 【拡大写真付き】奈良・葛城山のススキ秋風に揺られ登山客ら和ませる
7本の旗は「続日本紀」の記述通り
藤原宮は国内で初めて計画的に建設された首都藤原京の中枢部。現代なら、皇居と国会議事堂、霞ヶ関の官庁街を集めたエリアに相当する。都の中央約1キロ四方を占め、周囲には高さ5.5メートルの瓦葺きの塀が巡らされていた。 内部中央には、天皇が政治や儀式の執務に当たる大極殿、貴族や役人が集まる朝堂院が南北に並んでいた。現在、草原が広がる一帯は特別史跡藤原宮跡として管理され、発掘調査が継続的に実施されている。今回の調査では大極殿のある大極殿院南門の南側、朝堂院朝庭の北端部が対象になった。 藤原宮期の遺構として、旗ざおを立てたとみられる大型柱穴群や横に並んだ柱穴列が出土した。広場に多くの旗が立てられていたと推定されるが、中でも注目を集めるのが、大型柱穴群だ。宮を南北に貫く中軸に位置する中央の1基をはさんで、東西に3基ずつ対称的に配置された計7基の柱穴群で構成されていることが、分かった。 整然と対称性を保つ3・1・3の7基の柱穴群は、何を意味するのか。奈良文化財研究所によると、「続日本紀」に記載されている大宝元年(701)の元日朝賀の際に立てられた7本の幢幡(どうばん・旗)に関わる遺構の可能性が高い。
1300年前の元日が華やかによみがえる
3・1・3東西対称方式による7本の幢幡は、次のような構成だったと考えられる。中央に3本足のカラス(烏)をセット。東に太陽を表す日像と青龍、朱雀を、西には月を示す月像と玄武、白虎を、それぞれ東西に3角形を描くように配置するという構図だ。日本独自の信仰である3本足のカラスに、古代中国の陰陽五行思想を組み合わせた特異な様式といえる。 実際に立てられた旗のサイズやデザインなどは史料に残されていない。後世に描かれた同様の旗を参考にすると、高さは9メートルに達していたと推定される。イラストレーターの早川和子さんが元日朝賀の式典を想像したイラスト作品を創作し、現地説明会の会場でも展示された。新春の陽光を浴びて色鮮やかな7本の旗がはためく様子は、壮観だったことだろう。
大宝元年には大宝律令が完成。日本が律令国家へ踏み出した年の清々しい元日の風景が、1300年の歳月を越えてよみがえる。一方、藤原宮の後に造営された平城宮跡などでも旗ざお遺構が見つかっているが、7本の幢幡の立て方は、いずれも横一列に標準化されている。わずかな間に、なぜ変わったのかは分かっていない。古代史の旅の途上では、新たな発見が、また新たななぞを呼ぶ。詳しくは奈良文化財研究所の公式サイトで。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)