宅麻伸さんがバイク遍歴を初披露! カワサキ、ホンダ、ヤマハなどを経てハーレーを購入、魅了された理由とは?
愛車を見せてもらえば、その人の人生が見えてくる。気になる人のクルマに隠されたエピソードをたずねるシリーズ第33回。今回はクルマと共に乗り継いできたバイクを、貴重な写真と共に振り返る! 【写真を見る】宅麻伸さんのバイク遍歴詳細はこちら(13枚)当時の貴重な写真がカッコ良すぎる!
役作りのためバイク免許を取得
宅麻さんは19歳のとき、生まれ育った岡山県・玉野市から俳優の道を志して上京した。18歳で自動車免許を取り、地元ではホンダ「1300クーペ」や三菱「ギャランGTO」などに乗っていた宅麻さんだが、アルバイトで生活費を稼ぎながら役者を目指す東京での生活では、クルマを所有する余裕はなかった。 1979年、23歳のときTVドラマ『新・7人の刑事』で念願のデビューを果たした宅麻さんは、翌年、二輪の教習所に通い始める。役作りのためにバイクに乗る必要があったことと、クルマは無理でもバイクなら所有できるかもしれない、と、思ったのがきっかけだった。 「免許を取って、初めて買ったのは中古のカワサキ『Z400LTD』。オッサン臭いバイクだったけど、最初は絶対に転ぶと思っていたから、とにかく安いのでいいやって。少し慣れてから乗り換えたのがホンダ『ウイング GL400カスタム』。同じ400ccだけど、こっちのほうが大きくてカッコよく見えたんだよね」 カワサキZ400LTDとホンダ ウイング GL400カスタムは、どちらも当時ブームだった、いわゆるアメリカンタイプのモデルだ。幅広なハンドルと足を投げ出すようなゆったりしたライディングポジションは、身長180cmと長身の宅麻さんに似合っていたに違いない。 「1981年のNHK大河ドラマ『おんな太閤記』に石田三成役で出演が決まったとき、バイクで京都までお墓参りに行ったのはいい思い出。それから友だちのバイクなどいろいろ乗らせてもらっているうちに、もっと大きなバイクに乗りたくなって、限定解除の試験を受けに行くことにしたんだ」 1970年代、全国で暴走族が増加していた。その対策として1975年、自動二輪免許に399ccまでの中型限定が設けられ、400cc以上のバイクに乗るためには “限定解除”の免許が必要になった。ただしそのためには各地の試験場で“一発試験”を受けなくてはならず、その試験の合格率はわずか数%と言われるほど厳しい狭き門だった。 「東京の鮫洲試験場に行ったんだけど、30、40人受けてひとりかふたりが合格という感じだった。だけど1回目の試験で、一本橋からスラロームまでスムーズに走りきっちゃったんだよ」 合格率数%の限定解除試験で、まさかの一発合格! と、胸を躍らせ発表を待っていた宅麻さんに、試験官から結果が告げられた。 「『宅麻さん、試験コースの外周路は何km/h制限か知っていますか?』と、聞かれたから、『え?確か30km/hでしたよね……』 と、答えたら、『あなた60km/h、出していましたよ』 って(笑)」 試験コースでの“スピード違反”で、一発合格の快挙は幻と消えた。だがその後、なんと3回目で合格を果たす。合格まで10回、20回と試験場通いする人も珍しくなかった時代、これはかなりの快挙と言えるだろう。 憧れの大型バイクへの切符を手にした宅麻さんは、当時の国産バイクとしての最高峰だった“ナナハン”を手に入れる。国産車初のフルカウルを纏ったヤマハのフラッグシップモデル「XJ750D」だ。その後、日本刀をモチーフとした斬新なデザインで一大センセーションを巻き起こしたスズキ「GSX1100Sカタナ」に乗り換えたが、限定解除を果たして3年後、宅麻さんはバイク乗りの多くが憧れる、“あのバイク”を手に入れる。