ポール・メスカル、次なる舞台はコロセウム
ポール・メスカルが演じる役はさらに勇猛になり、ファンはさらに貪欲になる。彼は今、リドリー・スコット監督の超大作『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』の主役として、新たな局面を切り拓いている。 【写真をみる】自身にとって初めての超大作で、主役を演じるポール・メスカル
真夏の夕方、ロンドンのヴィクトリア・パークでは、太陽が最後の力を振り絞っていた。見渡す限り広がるエメラルド色の芝生は、まさに都会の中の緑のオアシスで、この光景は──ああ、くそっ、雨が降ってきた。 ポール・メスカルはまったく動じることなく、私を丈夫そうな木の下に連れていった。そこなら葉の天蓋に守られて、ますますひどくなる雨から逃れられる。植物のさわやかな香りが広がる。自然体で情に脆い男の役を演じたら類を見ないスター俳優として君臨するメスカルが草の上でくつろぐ姿は、まるで印象派の絵画のようだ。 私がこのときに経験したのは、かなりの数の人に何をしてでもその立場になりたいと羨まれる状況だ。このような瞬間が訪れることは、人生において滅多にない。 ヴィクトリア・パークまで、メスカルと私はリージェンツ運河沿いを足早に歩いてやってきた。この道はアイルランド出身のメスカルがロンドンに拠点を移して以来、お気に入りにしているランニング・ルートだ。ずらりと並んだハウスボートでは、住人たちがデッキでバーベキューをしたり酒を飲んだりしている。ラブラドール・レトリーバーが思いっきり水に飛び込んで、投げた棒を取りに行って遊んでいるのも見える。その光景は背徳感を覚えるほど魅力的だ。 2024年、ショートパンツ姿で話題になったメスカルは、今日はフルレングスのジーンズにサーモン色のパタゴニアの長袖シャツ、そして黒いアディダスのサンバを履いている。柔らかそうなマレットヘアに、伸びっぱなしのヒゲ、ぼんやりとしたような青い目。そのうえ、古代ローマの上着であるトーガを着て、こんなふうに道に落ちているゴミを拾うなどしていなければ、まさにローマ人らしい鼻。片方の耳にはいつものように小さなフープピアスをつけている。あと数日もすればメスカルは、クロエ・ジャオ監督が2020年のベストセラー小説『ハムネット』を映画化する作品の撮影に入る。彼が演じるのは、これまたフープピアスをした有名な男、ウィリアム・シェイクスピアだ。 「右耳にピアスホールを開けていたのですが、シェイクスピアを演じるために左耳にも開けました。肖像画では左耳にピアスをしているんですよ」とメスカルは説明する。「マジかよ!? って感じでしたね」(と言いながらも、メスカルは余儀なく受け入れた) 28歳のメスカルはわずか4年という短い期間で、同世代で最も優れた俳優のひとりとしての地位を確立した。私に言わせれば、彼はなかでも最も自然体だ。そして、アイルランド発祥のゲーリック・フットボールを長年プレーしてきたことも関連しているが、堅固さと繊細さを併せ持つ非常にまれで特殊な男らしさがある。メスカルが泣く姿は、美しい。つまり、いわば大げさで醜く、人の目を気にしない涙とは真逆ということだ。 彼の役柄は、ブレイクした『ノーマル・ピープル』での読書好きの人気者コネル、ファンタジー映画『異人たち』での孤独なゲイのパーティー好き、それから打って変わって、昨年26歳の若さでアカデミー賞にノミネートされた『aftersun/アフターサン』での鬱屈した若い父親など、くよくよ悩んだり泣いたり(あるいはその両方)することが多い。これまで演じた人物に共通する点は何だと思うかと尋ねると、メスカルはこう答えた。「何者かになりたいと強く願いながら、その音楽を奏でるための楽器を持っていない人たちです」 ネット用語では、そうした人物は「悲しくてセクシー」と要約されている。私たちは木の下で雨宿りしながら、そのことを笑い話にしていたが、同時にメスカルは不思議にも思っていた。カラムのように傷つき、孤独を感じ、背負いきれないほどの苦悩と闘っている主人公が登場する『aftersun/アフターサン』のような映画を観てセクシーだなんて、一体誰が思うのだろうと。 「そういう人たちは要注意ですよ」とメスカルは冗談を言う。「本当に」 公平を期すために言うと、演じる人物の表情が「悲しげ」だと書かれていた脚本をメスカルが手にしたことは2回ある。そして2回とも彼はその役を得た。メスカルは、ティモシー・シャラメと同じ28歳だが、正確に言えば彼より後に生まれている。だがシャラメよりも若いと言われてもピンと来ないかもしれない。というのもメスカルは、自分よりも年上の人物を演じたり、そう振る舞ったりする傾向があるからだ。『aftersun/アフターサン』では、11歳の娘がいる父親として真に迫る演技を見せた。それはなぜなのだろう? 「遺伝ですかね? 肌の手入れをしてないから?」とメスカルは理論づける。彼は、あなたの最もハンサムな友人がそうであるような意味で、ハンサムだ。そして、このことがメスカルを説得力のある俳優にし、同時に多くの人を魅了する存在にしている。21世紀が作為や断絶によって定義づけられるとすれば、メスカルは私たちを人間らしさへと立ち戻らせてくれる。 『ノーマル・ピープル』のもう1人の主役であり、メスカルの親友でもあるデイジー・エドガー =ジョーンズは「ポールはいつも、すごくいい感じにありのままなんです」と話していた。 美しい感動作『異人たち』を監督したアンドリュー・ヘイも、この天性の才能について言及している。「ポールはいつも探求し、物事をより深く掘り下げ、演じるシーンの真髄に近づこうとする。しかも、それを実に簡単にやってのける。俳優のなかにはすごく苦しむ人もいますが、ポールは違います。苦痛を味わいながらではなく、好奇心のようなものに突き動かされて探求するのです」 メスカルに今回取材するまで、私は相当数の若手俳優をインタビューしてきた。その上で、メスカルがどんな俳優かを伝えるには「メスカルは~ではない」と言い表すほうが簡単かもしれないと思う。彼は名声に苛まれてもいなければ、その責任に苦しんでいるようにも見えない。自分がいかに賢いかを証明しようともしていないし、自身のカリスマ性を強調してファンを引き付けようともしていない。傲慢さも偽りの謙虚さも持ち合わせていない。要するにメスカルはクールでいいやつなのだ。 ◾️自分の好みに従う 私が最後にメスカルと話したのは2020年で、パンデミックの最中だった。それに加え、感情やセックス、エモーショナルなセックスを純粋にありのままに描いた『ノーマル・ピープル』が、文字通り一夜にして彼の名を一躍有名にしたあとだった。インタビューは必然的にすべてZoomで行われた。メスカルは数カ月に及ぶプロモーション活動の最中にいて、その間に何百回となく「インティマシー・コーディネーターとの仕事はどうでしたか?」という質問に答えなければならなかった。当時はまだ24歳で、知名度が上がっていくなかで歯がゆい思いをしているようだった。 それ以来、彼は20代という成長も喪失も伴う、人生において最も変化を感じられる時期を過ごしてきた。だが彼が経験した変化はスケールが半端なく大きかった。「24歳の自分を振り返ると、まるで別人のようです。頭の中はまだ理想で埋め尽くされていました。あの頃はまだ、シニカルではなかったですしね。だから幸せだったという意味ではなく、モンタージュのようなもので、当時を思い出すとすべてがバラ色です。でも同時に、真逆の面もいつもありました。演じる人物の心理を理解しようとするには、ただ脚本を読むだけでなく、自分の心のなかから引き出してくる必要がありますから」 『ノーマル・ピープル』以来、メスカルは地道にそして丹念に仕事をしてきた。何かメソッドがあるとすれば、自分の好みに従うことだ。「変な話ですが、自分の脳が何かに集中しているのが好きです。だから仕事の合間よりも、仕事をしているときのほうがうまく振る舞えるのかもしれません」(仕事への向き合い方について話しているとき、彼は別の話題を持ち出した。「私の悪いところは、金曜日をリモートワークにできるなんてありえないと考えているところです」。私は、映画スターのポール・メスカルという仕事は、金曜日に家でできる仕事ではないですよ、と伝えた) 「エージェントは堂々と、仕事となると私がサイコパスになると言っています」。ヴィクトリア・パークの芝生を断続的に引っ張ったり、自分の髪を引っ張ったりしながら彼は言った。「このチャンス、成功、アーティストとしての自由を持ち続けたいと強く思います。これからもずっと終わってほしくない。だから、コントロール・フリークみたいになってしまいます」 私は彼に、少なくとも数年前に話したときよりはリラックスしているように見えると伝えた。それを聞いて、メスカルは嬉しそうに笑った。 「リラックスしているように思います?」と声を弾ませて言う。「それはなによりだ。よかったです。『GQ』に冷静で何事にも動じない人間だとお墨付きをもらっちゃったな、なんてね。もう取材はこれくらいにしましょう」 でも、そうはいかなかった。メスカルは今、新しい領域に足を踏み込もうとしていて、これまでの作品よりもはるかに大勢の観客の前に出ていこうとしているのだから。メスカルはリドリー・スコット監督の『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』という、自身にとって初めての超大作で、主役を演じるのだ。 すでに道で人に呼び止められると、奇妙なことになっているそうだ。「野郎どもが近づいてきて『グラディエーターII』が楽しみだ』って言われます。握手もこんな感じです」とメスカルは言い、世界中の男たちがこぞってしている握手とハグを真似てみせた。「今や私は、名誉ある男なんです」 『グラディエーター』の1作目は、ある年代の男性にとって重要な意味を持つ作品だ。リドリー・スコットが監督し、ラッセル・クロウが剣闘士マキシマスを演じたサーガは、名誉と義務、そしてそれらがまだ意味あるものとされていたはるか昔(西暦180年)の時代を描いている。「勇敢なるものに、永遠の栄光を」と言われていた時代だ。たとえそのメッセージが必ずしも意図したとおりに受け入れられなかったとしても──例えばドラマ『ザ・ソプラノズ』で『グラディエーター』のセリフの引用ばかりしているラルフ・シファレットのように──男性が男性らしくあった時代への郷愁を呼び起こす(オフィスの椅子に座りひたすらエクセルシートを打ち込みながら衰えていくのではない時代、ということだ)。また、ハリウッドが歴史大作映画を作り、映画館を満員にすることができた、それほど昔ではない時代(西暦2000年)への郷愁も。 メスカルが初めて『グラディエーター』を観たのは13歳頃で、同じポールという名前の父親と一緒だった。この映画を観る年齢も、一緒に観に行く相手も理想的だ。それから10年以上が過ぎて、プロデューサーのルーシー・フィッシャーとダグラス・ウィックがロサンゼルスでメスカルを朝食に連れ出し、続編のキャスティングをしていることを告げた。メスカルが合格すると、今は86歳となった、手強いリドリー・スコットとの電話が待っていた。 最初の会話でメスカルは、自分の身体能力を監督に売り込もうと、ほとんどの時間をゲーリック・フットボールのキャプテンとしてのキャリアを語ることに費やした。一方『ノーマル・ピープル』を観ていたスコットは、メスカルの演技力に感銘を受けていた。監督は身体能力に基づいてキャスティングする傾向があり、またメスカルが古代ローマのデナリウス銀貨に描かれていそうな横顔をしていることはさておき、メスカルと1作目でマルクス・アウレリウスを演じたリチャード・ハリスが似ていることに気づいていた。 「とてもいい感じで、優しく、真っ直ぐな男です」とスコットはメスカルのことを話していた。「アメリカで言うところの真の男という感じで、そういうところが好きですね」。スコットは、探していたルシアス(1作目の『グラディエーター』に登場する人物で、コニー・ニールセン演じるルッシラの12歳の息子として剣闘士競技を観戦していた)を見つけたのだ。 『グラディエーター』に匹敵するような大規模な仕事をしたことのない、比較的新参者の俳優を起用することに、スコットは何の抵抗もなかった。「いつもそうです。ブラッド・ピットは『テルマ&ルイーズ』までまともな映画なんてやっていなかったし、シガニー・ウィーバーも『エイリアン』までそうだった。私はそうしたチャンスに、一か八かで賭けてみます」。ルシアス役を勝ち得たメスカルは、剣闘士たちを抱える裕福な武器商人を演じる、レジェンド中のレジェンド、デンゼル・ワシントンと、かの有名な闘技場に放り込まれることになる。 『グラディエーターII』は、メスカルがこれまでに出演してきた作品とは違っていた。父親と娘との繊細なやりとりの場面が大半を占める『aftersun/アフターサン』では、スタントダブルを使うことなどなかった。準備できることはすべてやった──トレーナーと一緒に体を鍛え、サツマイモとひき肉を嫌気がさすまで食べ続けて約8キロの筋肉をつけた。 私は、男である彼がローマ帝国についてどれほど考えているのかという、避けては通れない質問を投げかけた。欧米でミーム化したこの問いを投げかけられ、メスカルは唸り声をあげた。「学校で勉強しました。そのあいだは考えていましたけどね(メスカルはどちらかと言えばアイルランド独立運動に関心があり、いつかはケン・ローチが監督しキリアン・マーフィが主演した映画『麦の穂をゆらす風』のような作品に出演したいと考えている)。『グラディエーターII』では、昨夏にモロッコで初期のシークエンスをいくつか撮影し、その後1作目が撮影されたマルタ島に飛行機で移動して残りを撮影した。 スコットは実物大の大きさに合わせてセットを作る。コロセウムのセットに足を踏み入れたとき、メスカルは思わず圧倒された。「撮影初日にコロセウムを歩いて、ポールは死にそうになっていました」とスコットは言う。「あれほど大きなセットになるとは思っていなかったのでしょう」 撮影が始まる前、葉巻をくわえたスコットが近づいてきて、背中を叩いて名言をつぶやいたことをメスカルは覚えている。「緊張されても何の得にもならない」 撮影初日が終わる頃、メスカルはあることに気づいていた。親密なインディーズ映画であろうと、デンゼル・ワシントンと向かい合いながら2億5000万ドルの超大作に出演しようと「演技は演技で、演技でしかない」のだと。 彼はまた不安を拭い去り、代わりに自分で自分をコントロールすることを学んだ。「頭の中で築き上げていった感じです」とメスカルは振り返る。「『今日はデンゼルが撮影現場に来る日だ』と思うとあまりに茫然自失となって、でもふと『しっかりしろ。やるべき仕事をすればいい』と思えるようになりました」 ワシントンはメスカルについてこう語っていた。「彼は自分がしていることを熟知しているし、どうやればいいかも心得ている。彼は自然とこちらの演技を引き出してくれます。そこに立っているだけでも、彼には静かな威厳と強さ、そして知性が感じられます」 『グラディエーターII』は1作目よりもはるかにスケールが大きく、生々しく、暴力的だというのが映画ファンとしての感想だ。壮大な戦闘シーンはもちろんのこと、男同士一対一の苛烈な戦いもある。観客は映画の大半を顔をしかめて観ることになるだろう。「リドリーを一生許さないと思っているのはただひとつ、暑さが苦手なアイルランドの青白い肌の男に、真夏に鎧を着せて日焼けしたようなメイクをさせて、汗にまみれながら地面を転げ回らせたことですね」とメスカルは言う。「戦いの場面は、きつかったです」。メスカルが仲間に向かって演説する場面も多く、キャプテンとしてゲーリック・フットボールのチームメイトたちをロッカールームで煽っていたことが役立ったのかもしれないと私は思った。 1作目の『グラディエーター』が最高にエモーショナルな映画であることを、私たちは忘れてしまいがちだ。私自身、約20年ぶりにもう一度観るまで忘れていた。胸を刺すようなハンス・ジマーとリサ・ジェラルドによるオリジナル・サウンドトラックに、ムードあふれる死後の世界のショット、そして極めつきはラストの死の場面(私の同僚の男性は、映画館で『グラディエーター』を観て、大人になって初めて泣いたと言っていた)。 「羊の皮を被った狼ですよ」とメスカルは微笑みを浮かべて言う。「この映画を観ると、すごく男らしくてマッチョな気分になれます。でも実は、この映画が素晴らしいのはドラマがあるからです。本物のペーソスがそこにある。描かれている暴力はすべて、愛と裏切りによって突き動かされていますから」 ◾️ラッセル・クロウとの比較 だから、男の感情と苦悩を伝える一流の“通訳”とも言えるメスカルが『グラディエーターII』において、そうしたことを表現する理想的な器となるのは理にかなっている。決闘後、血まみれになって肩で息をするルシアスは、ウェルギリウスの詩を口にする。「彼は不快感のなかに安心感を覚えています」。メスカルはルシアスについてこう表現した。「自分を特別だと思わないところがいい。彼は世界に対して自分の権利を主張するのではなく、ただ戦っています。プライドがないという点も、演じていて面白いところだと思います」 メスカルは1作目と2作目をつなぐトップシークレットも明かしてくれた──ルシアスはマキシマスの息子だったのだ。1作目は希望を感じさせるラストだったが、続編ではローマは相変わらず腐敗し、退廃的な双子の皇帝の支配下で緊張感が漂っている。「過去にトラウマを抱えるルシアスは、ローマを推進させたいという思いと嫌悪感を抱いています。そして、自分のルーツを知ることになるのです」とメスカルは語る。「今回の続編はルシアスがローマを憎むところから始まります。話が進むにつれて、彼は混乱に陥りそうなローマを守る義務が自分にあることに気づくのです」 ラッセル・クロウとの比較は避けられないだろう。メスカルはそれを完全に避けていて、これまでクロウに連絡することもなかった。「会っても何を言えばいいかわからなくて」とメスカルは言う。メスカルは今回の演技に誇りを感じているが、これが自分のキャリア全体を決定づけるのを必ずしも望んではいない。「『これはラッセルの映画だったのに』と人が言うのも違うと思います。ラッセルは繰り返し自分の能力を示してきましたし、『グラディエーター』の後も、何度も自分の力を証明してきた。ラッセルのような素晴らしいキャリアは、『グラディエーター』だけでは築けません」 『グラディエーターII』に、ルシアスの母ルッシラ役として前作に引き続き出演するコニー・ニールセンは、クロウとホアキン・フェニックス(前作でのコモドゥス皇帝役)の両方の資質をメスカルに見たと語った。「ホアキンには、人に背筋を伸ばして注目させる何かがあります。ひとつは、彼がありのままの姿で世界に立とうとする意志です。そして彼は、それを独特の本質へと昇華させます。それはまさに、傷つきやすさを受け入れる意志です」と彼女は私に語った。「そして、ラッセル・クロウのシュトゥルム・ウント・ドラング(嵐と衝動)もあります。セットに颯爽と現れ、シーン、カメラ、演じる人物を完全に支配してしまうということです」 前作との違いは他にもある。女性ファンたちは、メスカルと将軍マルクス・アカシウスを演じるペドロ・パスカルが出演する2作目、特に彼らの太ももに並々ならぬ期待を寄せている。私はこのことをスコットに話した。 「ラッセルは男前ではないってことですか?」とスコットは茶化すように言い返した。「ラッセルは(ポールとは)まったく違うし、ポールもラッセルとはまったく違う。はっきりと言うのは難しいですが、ラッセルにはない無防備さがポールにはあると思います」 私がロンドンでメスカルに会う数週間前、メスカルは試写室で1人『グラディエーターII』を観た。彼が神経を張り詰めていたのは、非常に現実的な金銭的な理由によるところが大きかった。なにしろ制作費2億5000万ドルの映画なのだから。「これは大勢の人々による大勢の人々のための映画です。まさにそれがこの映画の目指すところ。あからさまに言ってしまえば、それこそ私が望んでいることであり、スタジオが望んでいることです。多くの人が映画館に足を運んでくれるような、素晴らしい作品を作りたいと思っています」 試写を観はじめて2分もしないうちに、メスカルは気が楽になったようだ。何があったのだろう? 彼は自分の演技を観ながらこう思ったそうだ。「オーケー、自分を信じよう」と。 雨が弱まってくると、私たちは運河沿いの道を引き返しはじめた。今のところ、誰もメスカルに気づいていない。それは、多くの若者が彼のスタイルと髪型を取り入れたせいで、世界中がメスカルのドッペルゲンガーで溢れかえり、本物が紛れ込んでいてもわからなくなってしまっているからではないだろうか。避けられない問題だ。 私が住むニューヨークも、メスカルにそっくりな男だらけなのだから。昨年秋、マドリッドのトルティーヤ・レストランで、ポール・メスカルみたいな男たちが集団で入ってくるのを見た。今回の取材でヒースロー空港に降り立ったときは、到着ロビーでガールフレンドに花を手向けるポールもどきをすぐに見つけた。メスカルはその無造作で親しみやすいルックスを通して、男たちにインスピレーションを与え、ショートパンツに関しては、もっと太ももを強調してもいいと自信を与えた。 取材の途中でメスカルは、シンガーソングライターの妹のネルから送られてきたというボイスメッセージを聞かせてくれた。「兄さんが引き起こしたのは、まさに短パンのパンデミックだね」と彼女はからかう。「ロンドン中で、男たちがばかげたような格好をしてるよ」 『グラディエーターII』などを経てメスカルは最近、血統や血筋、運命について考えている。ポールとネル、そして弟のドナチャは、アイルランドのメイヌース(人口1万7000人ほどの町)で、警察官の母親と教師の父親のもとで育った。当初は法学部に進学しようとしていたが、土壇場でトリニティ・カレッジのリール・アカデミーで演技を学ぶと決めた(ゲーリック・フットボールは続けていたが、3年生になる直前に顎を骨折したことで、ピッチでの日々は終わりを告げた)。 彼の両親はそれを受け入れた。「両親は私の選択を全面的に支持してくれました。それにアイルランド出身であることもツイていました」と彼は言う。メスカルは大学での伝統的な演劇トレーニングにかかった費用(高等教育に対するアイルランド政府からの助成金のおかげで1万ドルだった)を、アメリカでの学費と比較する。「例えば20万ドルの借金を背負ってキャリアをスタートして、自分の芸術に誠実でいられるのでしょうか? もし誰かが『このひどい作品に出れば、大学の借金を返せるよ』なんて言ってきたら、どうするんでしょうね?」 その結果、メスカルはダブリンで演劇の道に進み、とりわけ『グレート・ギャツビー』の舞台への出演は『ノーマル・ピープル』での主演につながった。また、自暴自棄になることがなかったため、メスカルは自分の信じる芸術観に忠実でいられ、『aftersun/アフターサン』のような映画に主演することができた。この映画を観たときは、実際に涙を流すほど感動したそうだ。2022年のカンヌ国際映画祭でこの映画を観たあとのことをメスカルは覚えている。「(カーテンの陰に隠れて)3、4分間泣き続けました。最初からああいう映画を目指してやってきたので」。映画界でのキャリアを上り詰めていくなか、メスカルはその年、『欲望という名の電車』でスタンリー・コワルスキーを演じるために劇場に戻ることを決意した。 教師時代は演劇を後回しにしていたが、メスカルの父親はアイルランドで舞台俳優をしていた。受賞歴もある。「言葉にするのは難しいですね。父とは子どもの頃から芝居の話をしていたわけではないですが、私が方向転換して芝居に興味を持ち始めると、父はそれを理解してくれました(ポール・メスカル・シニアは退職して、この夏、舞台に復帰した)。 息子のポールはこの4年間を振り返り、家族の絆は強くなるばかりだったと話す。特に母親のダーブラが多発性骨髄腫(骨髄を侵す血液がん)と診断されたときにそう感じたそうだ。その知らせを受けてからしばらくして、メスカルは『異人たち』の撮影現場でパニック発作を起こした。母親は現在、寛解期にいる。「私たちはいつも結束の固い家族でした。でもこの4年間で、その絆が10倍くらい強くなったと思います」 運河を歩いて戻る途中、突然正体がバレた。ある若い女性が恥ずかしそうに手を振りながら、静かに「ハイ、ポール!」と声をかけてきたのだ。すると、あまりシャイでも物静かでもない通りすがりのランナーが「うっわ、ポール・メスカルだ!」と叫び声をあげた。「超ダサいのはわかっているけど、一緒に写真を撮ってもらえませんか?」。別のランナーが足を止めて頼んできた。そして運河に落ちそうなくらい興奮しながら、大好きだというメスカルの作品を列挙しはじめた。 その人が走り去ると、メスカルは私に向き直って言った。「こういう交流は大好きですね。優しい人だったな。いい人だった」。さらに、後ろから私たちを追い越し際に別のランナーが「あなたが通り過ぎるときの、みんなの反応を見ていると面白い」と教えてくれた。お忍びの散歩はこれにて終了だった。 私たちはシェアリング電動スクーター、ライムのスタンドで別れた。最近のメスカルのお気に入りの移動手段だという。彼は通りを走り去っていくことになるが、人々は通り過ぎていったのがポール・メスカルだと気づくかもしれないし、あるいはメスカルのそっくりさんがまたやってきたと思って見過ごすかもしれない。 ◾️名声との付き合い方 翌日の夜、私はノマド・ホテルのライブラリー・バーで待っていた。マホガニーの重厚な雰囲気が漂う店内では、騒々しい20歳かそこらの若者たちがテーブルを囲んでいる。その中心ではアメリカ人女性がみんなの注目を浴びながら、ホットドッグのコスチュームを着た男に出会い、付き合い始めたものの、その人が既婚者だったという恋愛の顛末を面白おかしく語っていた。 メスカルが慌てた様子で少し遅れてやってくると、バーは静まり返った。ホットドッグの詐欺師の話もやんだ。メスカルはライムバイクを停めようとしていたのだが、ホテルの前に停める場所がなかったのでやむなくブロックを1周したのだそうだ。その間に、ファンにセルフィー撮影を頼まれて何度も止まる羽目になったと。 落ち着きを取り戻すと、メスカルはノンアルコールで甘いものが飲みたいと店員に告げた。運ばれてきたのはパイナップル風味のドリンクで、ヤシの葉がまるごと添えられている。バカみたいな飲み物だが、なぜかメスカルが飲んでいるとバカバカしく思えない。彼はあっという間に飲み干すと、さらに2杯頼んだ。3杯目を頼むときは、私も自分の分を注文した。スナックがテーブルに運ばれてくると、彼はオリーブの小皿を避けながらナッツを頬張った。「オリーブがダメで」とメスカルは言う。「うっかりタプナード(オリーブペースト)を食べてしまったことが……」 「24歳から28歳の間に何があって、どうしてそんなにシニカルになったのか、ちょうど聞こうと思っていたところです」と私は切り出した。「ええ、その話に戻しますよ。タプナードは……」と彼は言い、続けた。「いや、特に何かの出来事と関係しているわけではないんです。いくつかの経験が積み重なっていったからだと思います。子どもの頃に経験した世界はすごく作られたもので、自分が思うほど快適ではないことが急にわかりはじめる。そしてひどいことが起きると、自分のあり方が変わってきますよね」 メスカルは、プライバシーが希薄になる名声の域に達している。グラストンベリーのフェスやクラブでのパーティーに参加すれば、いつ写真を撮られてもおかしくないし、撮られる可能性は高い。彼の恋愛事情については、熱狂的とも言えるくらい憶測が飛び交っている。私はその日メスカルが着ていたセーターに見覚えがあった。黒地に白い牡馬の柄が付いているもので、最近彼がミュージシャンのグレイシー・エイブラムスとショッピングに出かけたところをパパラッチされたときに着ていたものだった。5月には、離婚したばかりのナタリー・ポートマンとタバコを吸いながら談笑しているところを写真に撮られてインターネットを賑わせた。そしてもちろん、堂々と公にしていたミュージシャンのフィービー・ブリジャーズとの交際と破局もあった。 こうしたことはぜんぶ、メスカルがどのように私生活を送るようにしているか──つまり彼が設定した境界線──を示している。 「自分の正気を保つためだけでなく、出演する作品のためにも越えてはいけない一線があることを学びました。私生活に関して言えば、境界線を引いていないと、人々に余計な情報を与えてしまうことになる。例えば、私がどんな朝食が好きなのかを知ったら、私が演じる人物を想像するときに邪魔になってしまいます」と彼は言う。 「ここ数年はずっと、飛び交う憶測に頭がおかしくなりそうになっています。自分の人生の(プライベートな)その部分に誰でもアクセスできるようにするのには、抵抗があります。私生活での自分は、私にとってとても大切です。そもそも、ほとんどその時間がありませんから。みんなは興味があるかもしれませんが、みんなに提供しなければならない情報ではありません」 ここで私はもうひとつ、4年前にメスカルと話したときとの違いに気づいた。当時、彼は名声がまさに花咲こうとしているところで、それに付随して起こり得ることすべてを経験していた。そしてそれに対して、明らかに気が張っているように見えた。今、メスカルは名声が好きではないかもしれない──間違いなく愛してはいな──が、うわべだけでももっと楽観的になることを学んだようだ。「たとえそれが間違っていたとしても、人に何も思われないよりは、強い意見をぶつけられたほうがいい」とメスカルは言う。「誰にでも隠している自分というものがあると思うんですが、そうしたプライベートな部分は守られる必要があると思います」 メスカルは友人の輪を絞っている。その大半は幼馴染やデイジー・エドガー =ジョーンズやシアーシャ・ローナンのようなかつての共演者たちだ(私たちが話している間、別々の作品でそれぞれメスカルのゲイの恋人役を演じたジョシュ・オコナーとアンドリュー・スコットが、2人で一緒に写ったセルフィーをメスカルに送ってきていた)。 メスカルはソーシャルメディアのアカウントを公開していないが、だからと言ってSNSを見ていないわけではない。昨年の冬には、メスカルは一夜限りの関係を持った相手を翌日公園での散歩に連れ出し、鳥や木を指差しているあいだに走り去ってしまう、という噂がTikTokで広まった。 私がその話を持ち出すと、彼は頭を両手で抱えながら「ああああああ」とうめいた。そのまましばらく動かずにいたと思ったら、腹を抱えて笑い出し、顔を真っ赤にして言った。「もう、めちゃくちゃですよ!」 その動画が初めて公開されたのは、メスカルがきょうだいと一緒に休暇を過ごしていたときだった。「みんなでその動画を見て、ゲラゲラ笑い転げました。まったく事実と違うんですから。笑って、笑って、笑いまくりましたね」とメスカルは言う。「ひとつだけやるせないのは、台所に行ったら、その動画を見て気を悪くする母を見かけたことです。最悪でしょ? 私たちきょうだいはネットとはこういうものだと知っているから、面白いと言って笑えます。本当だったら最低ですが、根も葉もない噂としては面白い。でも母親だったら直感的に『あの子はこんなことしない』と言いたくなるだろうなと思いますね」 私たちは笑いながら次の話題へと移ったが、メスカルがナーバスになっているので、再びその話題に戻った。その動画が出てきたこと、それから彼が煽るような反応をしたことに。 その後も、彼はバーの本棚にある本をぼんやりと弄びながら、『London ’s Hidden Walks(ロンドンの隠れスポット)』というタイトルの本を手に取った。「3巻本か」と彼はつぶやくと、思わずこう言わずにいられなかった。「走って逃げ出すデートのお供にしようかな」 ◾️これから先のこと 再び転換期を迎えようとしているメスカルに会って、私は彼のキャリアをはじめからさらった。失敗はこれまでひとつもない。経歴にいつまでもつきまとうティーン向けの番組に出演していたこともなければ、恥ずかしくなるような演技を見せたこともない(Denny Sausagesの古いコマーシャルを除いては。「あれに出演して、5カ月分の家賃を支払えました。だから、Denny Sausagesの悪口は私の耳には入ってきません」)。もうすでに可能性に満ち溢れている彼の未来は、さらに豊かなものになりそうだ。 要するに、2020年にポール・メスカルでいたことは良かったし、今もポール・メスカルであることは良いことであり続けている。しかも、前よりもずっと良くなっている。「『グラディエーター』は対外的な仕事では、これまでやってきたなかで断トツに大きなもので、これまでになく大勢の人がこの作品を観ることになります。でも、俳優としてどうありたいかという基盤ができたように思います」とメスカルは言う。「だから、これがすべてではありません」 進行中のプロジェクトには大作映画もあれば、小さな作品もある。また劇場にも立つ予定だ。一緒に仕事をしてみたい、あるいはまた一緒に仕事をしたいと思う監督はたくさんいて、『aftersun/アフターサン』のシャーロット・ウェルズとは「デ・ニーロとスコセッシのような関係」を築くことを夢見ている。噂ではメスカルがポール・マッカートニーを演じるというザ・ビートルズの伝記映画については、「ぜひ参加したいですが、何も決まっていません」と答えた。 メスカルはまた、彼の人生にうまくマッピングされるであろう別のプロジェクトにもユニークな形で関わっている。それは、リチャード・リンクレイター監督が20年掛かりで取り組む、ミュージカル作品『メリリー・ウィー・ロール・アロング』の映画版だ。『6歳のボクが、大人になるまで。』を12年にわたって監督したことで有名なリンクレイターは、20年にわたって3人の友人の交差する人生を描いたミュージカル(スティーヴン・ソンドハイム作曲)を、大胆にももう一度語り直そうとしている。メスカルは友人や家族との関係を犠牲にしてまで成功をつかむカリスマ的な作曲家、フランクリン・シェパードを演じる。 ビーニー・フェルドスタインやベン・プラットといったミュージカルでも活躍する俳優陣を含むキャストは、数年おきに集まり部分的に撮影を進めていく。物語は逆の時系列で進むため、メスカルが今撮影している部分は映画のいちばん最後になる。このプロジェクトが終わる頃は、おそらく2042年になっていることだろう。そのときメスカルは40代に入っているはずだ。 「フランクリンみたいにはなりたくありません」とメスカルは言う。「落ち着いて結婚して、子どももいたらいいですけど」。メスカルにとって、将来を見据えるのは難しい。彼はまだ若く、今という瞬間をしっかりと手に握りしめているのだから。 話を進めるうちに、メスカルがそこまで先のことを考えるのをためらうのには、もうひとつ理由があることがわかった。 「いつも、自分は長生きしないだろうという確信がありました」と彼は打ち明ける。だからといって、特定の痛みや不安があるわけではない。ただ、空が青いと思うのと同じように、そう確信しているというのだ。 私は誰もがするであろう反応をした。 「そうですよね」と彼は言う。「こう言うと、みんなそういう反応をしますが、私の頭のなかではドラマチックなことではありません。直感と言ってもいいかもしれない。それに、80歳の自分をイメージできないことも関係しているのかもしれません」 そんなことを言いながらも、なんだか妙に落ち着いているように思えると私が尋ねると、「でも、死ぬのは怖くもあります」とメスカルは続けた。「だから、もし55歳で死が訪れたとしても、90歳のときと同じように死を恐れると思います」 心構えができている人なんていないと思いますよ、と私は言った。「そうですよね。『死ぬ準備はできている』なんて言う人は信じられませんよ。『うそつけ!』って思います」 その直感はどこから? と私は返した。「いつも頭のなかにあります。若いうちに家族を持とう、長くは生きられないだろうからって。願わくば、間違っていてほしいですし、実際そうはならないんだと思います。でも、そうした考えが脳裏から離れないんですよ」 ゲーリック・フットボールの選手らしく、メスカルは自分の今の状態を、連勝が続く絶好調の時期だと考えている。頭を悩ませるのは、それがいつか終わるかもしれないということだ。彼は今が全盛期であること、誰もが彼が出演する作品を観たくてたまらないと思っていること、そしていつかはそうでなくなるかもしれないことをわかっている。それなら今ぜんぶ手に入れなくてはならないと思うのだ。 「今はとても楽しんでいるので、これが変わってほしくはありません」と彼は言う。 私はその感情をシンプルな言葉でズバリ言い当てた。「人は幸せなとき、物事がうまくいっているとき、人生はいつまでもこのままではないと悟り、憂鬱になるものですよね」 それを聞いてメスカルの目が輝いている。興奮しているようだ。 「ですよね。でも不思議なことに、仕事という文脈では、このままであり続けることができるんです。できるんですよ! まぁ、めったにないことですけど」。そう言うとメスカルは深い溜め息をついた。「これが続いてほしいと、心から思いますよ」。その言葉には、妙に説得力があった。 【ポール・メスカル】 1996年、アイルランド生まれ。トリニティ・カレッジのリール・アカデミーで演技を学び、ダブリンで演劇の道に進む。2020年、ドラマ『ノーマル・ピープル』への出演で一躍人気者に。2022年の『aftersun/アフターサン』の演技でアカデミー主演男優賞にノミネートされる。最新作は2024年の『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』。 From GQ.COM PHOTOGRAPHS BY DANIEL JACKSON STYLED BY GEORGE CORTINA WORDS BY GABRIELLA PAIELLA TRANSLATION BY MIWAKO OZAWA