冷戦終結後のアジアと日本(1) ウクライナという挫折 :平野健一郎・東大名誉教授
1990年代の中国
川島 1990 年代のことを考える際にやはり中国のことが重要になると思います。先生はどのようにその頃の中国を見ておられましたか。 平野 中国の大国化の兆しを、私なりにはっきりと経験したことは珍しくよく覚えています。96 年でしたか、中国と台湾との間の3回目の危機が生じ(第三次台湾海峡危機)、中国が最終的に引きました。あの瞬間を非常に意味深く思っています。あのときは現在のようではなかったのかもしれませんが、現在につながるような中国の変化があるかもしれないということも思いましたし、同じようなことが続いて起こるかもしれないということも思いました。 それに、遅ればせながら、台湾が大好きになった瞬間でもあったのです。やっぱり中国は大きすぎます。しかし、その大きな清朝が賢い振る舞いをしたこともあったという歴史もありました。たとえばですが、東洋文庫の蔵書を見ながらそういう中国の歴史を察していただく、そういう文化の働きというのはありうると思います。 振り返ってみての後知恵なのですが、そもそも私が研究者を志した、満洲研究、満洲国研究の中に、実は文化の重層性というものが最初から隠れているわけです。そのことは、表面的には、日本が自国の利益のためだけに傀儡政権を構想するというところに表れたわけですし、「五族協和」を満洲国のモティーフにせざるを得なかったわけですが、満洲というところがそうした基盤を持っていたということだと思います。中国を筆頭に、アジアの社会は、複数の次元上でいろいろな地域(部分)に同時に切り分けられる、そういう可塑性といいますか、可能性を持っていて、それを我々は文化の重層性と呼ぶことにしているのではないかと思います。 インタビューは、2022 年9月1日、東京・虎ノ門のnippon.com で実施した。また、『アジア研究』(69巻2号、2023年4月)にインタビュー記録の全体が掲載されている。