渡辺勇大「よりを戻したいなと思ったのは…」東野有紗と“じつは離れていた時期”も越えて…ワタガシペアはいかに日本バド界の歴史を変えたのか
相手にマッチポイントを決められた2人は、努めて淡々と敗戦を受け入れているようだった。8月23日、バドミントン・ジャパンオープン2024(横浜アリーナ)の混合ダブルス準々決勝。パリ五輪で2大会連続銅メダルを獲得し、今大会限りでのペア解消を表明している「ワタガシ」こと渡辺勇大&東野有紗組(BIPROGY)が、楊博軒&胡綾芳(台湾)に0―2(9―21、17―21)で敗れ、ベスト8で姿を消した。 【貴重写真】「これはもらい泣きするわ…」大粒の涙を流して抱き合う東野有紗と渡辺勇大。高校卒業したての初々しいワタガシ、「最後の試合」となったジャパンOPでの表情。2人の足跡を写真でたどる。 ともに越境で入学した福島・富岡第一中学時代の2011年からペアを組んで13年。日本バドミントン界が混合ダブルスの強化に本腰を入れる前からコンビを組んでいた2人は、東京五輪で日本勢唯一となる銅メダルを獲得し、パリ五輪では2大会連続で表彰台に上がるという快挙を成し遂げた。 世界ランキング5位での解散。「ワタガシ」としてのラストマッチを見届けたファンから降り注ぐ拍手にはやさしい温もりがあった。 「ここまで来られたのは勇大くんのお陰」(東野) 「2人だからできた」(渡辺) 互いに掛け合う言葉も温もりにあふれていた。
語っていた「勇大くんしかいないと思うように…」
自他共に認めるように、結成当初から阿吽の呼吸があることを互いが感じ取っているペアだった。最初に組んだのは東野が中学3年生、渡辺が中学2年生の時。2人はかつてこのように語っていた。 東野「初めて組んだ時に(国際大会で)3位になったのですが、阿吽の呼吸というのか、パッと試合に入った時にうまくいったのが自分の中で印象的でした。東京五輪を一緒に目指すのは勇大くんしかいないと徐々に思うようになりました」 渡辺「僕は気持ちにアップダウンがある方なのですが、先輩は試合中に細かいところまで気を使って声を掛けてくれる。僕がダメなときは引っ張ってくれますし、僕が良いときは立ててくれます。プライベートでは全然絡まないんですけど(笑)」 2014年4月には世界ジュニア選手権(マレーシア)で3位。ただ、2人は学年が1つ違うため、社会人になるタイミングなどでそれぞれ別の選手とペアを組んで試合に出ていたこともあった。 東野「混合ダブルスで勇大くん以外の選手と組んだのは3人くらいですかね。2年間くらいは組んでない時がありました」
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