福知山の偉人・丹波康頼が編纂『医心方』を世界の記憶に―応援する会の櫻井雅子さんと京都府立京都学・歴彩館顧問の井口和起さんが対談
現存する日本最古の医学書で国宝の「医心方」は、福知山ゆかりの平安時代中期の宮廷医師・丹波康頼(912―995)が編纂した。これをユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に―と運動を展開している医心方を応援する会会長の櫻井雅子さん(70)=福知山市土師新町東=と前福知山公立大学学長の井口和起さん(84)=京都市中京区=が対談し、丹波康頼のこと、医心方の内容などについて語り合った。 ・井口 和起 京都府立京都学・歴彩館顧問、前福知山公立大学学長 ・櫻井 雅子 元福知山市史編さん室臨時職員。医心方を応援する会会長
井口 まずは自己紹介と、今回の対談と記事掲載に至る簡単な経緯を。 私は2022年3月まで福知山公立大学にいました、内記生まれの井口和起です。日本近現代史の専攻です。今回、櫻井さんから国宝『医心方』についての対談とその記録を両丹日日新聞に掲載のお願いができないものか、とのお話を受け、さっそく新聞社にご無理を申し上げたところ、ご快諾いただき、今日を迎えました。 櫻井 対談を申し出た「医心方を応援する会」会長の櫻井雅子です。この企画中に両丹日日新聞の取材を受けて、昨年8月21日付1面の「人物天気図」欄で取り上げてもいただきました。福知山を中心に日本中世の地域史を研究しています。 井口 それでは、これから私が櫻井さんにいろいろ尋ねながら進めさせていただきます。 まず、国宝『医心方』がどんな意義を持っているのか、それを福知山で取り上げるのはなぜか、この国宝を「世界の記憶」に推薦しようと櫻井さんはおっしゃっているのだが、その可能性や意義は? そしてなによりも、『医心方』って面白いのかなど、思いつくままに櫻井さんに尋ねていきます。よろしいか。 櫻井 それはもう答えられる範囲で。 井口 では、「人物天気図」欄ですでに語られてもいますが、再度、櫻井さんと『医心方』との出合い、これに情熱を傾ける思いなどからお話をうかがいましょう。 櫻井 初めは、『医心方』じゃなくて丹波康頼という人を知ったのです。福知山市史の第1巻で芦田完先生が天照玉命神社=今安=にふれて、丹波康頼という人がいたよって書かれていたのです。何をした人かは知りませんでした。 井口 その人、あの有名な俳優・丹波哲郎のご先祖様だと、後でわかったというお話でしたね。そして『医心方』を編纂して朝廷に献上した。それが今は国宝だということも知った訳ですね。それで18年から19年にかけ、丹波康頼とこの本の話を小中学校で話された。どんな話をされたのですか。 櫻井 まったく知られていないけれど、郷土にはこんな偉人がいたのよ、と天照玉命神社が校区にある小学校、翌年は中学校へと出前講座に行きました。 井口 今安にある古代丹波国の国造の祖先神を祭った神社 ですね。 櫻井 そうです。そこの小中学校でお話したのです。 今の世の中、風邪を引いたらすぐ風邪薬、おなかを壊したら胃腸薬だ、とすぐに薬を渡すけれど、昔はそうではなかった。薬をどんなふうに考えていたかを分かってもらうために、生徒たちと「七味作り」をしたのです。 七味は江戸時代のものだけど「薬味」と言いますね。実は、現代医療がなかった昔の人たちには、自分の体を整えるために取っている食べ物が薬だった。その「薬」から「薬味」も生まれる。そういう意味での七味作りの話をして、昔の医学、つまり東洋医学の薬の考え方や薬として受け入れてきた食物のことを体験してもらいました。 井口 へえぇ! 東洋医学や古典『医心方』からそんなことも学べるのですか。次回は、丹波康頼やその頃の福知山のことを詳しく教えてください。 両丹日日新聞では、この対談の内容を今後10回にわたって、「国宝・医心方を世界の記憶に―福知山の偉人・丹波康頼―」と題して、祝日を除く毎週火曜日に連載します。