平成の将棋史(上)前人未到の七冠独占 「羽生世代」の席巻
昨年暮れ、将棋界で大きなニュースとなる出来事が起こりました。第31期竜王戦七番勝負第7局で、羽生善治竜王が敗れ、27年ぶりの無冠となったのです。 【年表】の将棋史(下)戦術進化とAI 「藤井フィーバー」の衝撃 羽生九段は平成元(1989)年に初タイトルを獲得し、以後、七冠独占達成も含め99のタイトルを手にしましたが、平成の終わりを前に無冠となったことは一つの時代の転換点を感じさせます。平成の将棋界は羽生九段と、同世代のライバル、森内俊之九段(十八世名人資格保持者)、佐藤康光九段(永世棋聖資格保持者)などの「羽生世代」を中心に回った時代ともいえます。羽生九段と奨励会同期で、元「週刊将棋」編集長の古作登氏(大阪商業大学アミューズメント産業研究所主任研究員)とともに、平成の将棋界を2回連載で振り返ってみました。 まず前編は「羽生世代が席巻した平成将棋界」です。
「谷川時代」予感の後、「羽生時代」到来
羽生さんは平成元年に竜王を初めて獲得した後、翌年の平成2(1990)年は防衛に失敗し、いったん無冠になったものの、平成3(1991)年3月に棋王を獲得。以降、一冠以上を保持する状態が昨年末まで27年9か月続きました。タイトルの連続保持年数2位は、大山康晴十五世名人の15年ですから、羽生さんの記録が抜きん出ていることがわかります。 古作さんは「若手時代から羽生さんに加え、同世代の森内さん、佐藤さん、郷田真隆九段は、いずれ棋界を席巻するだろうとみられていた。羽生さんとは奨励会時代に何度か対戦したが、特に終盤力と粘りがすごかった。相手の力をも利用して逆転するような感じを受けた。初めてのタイトル戦の登場時も落ち着きが目立ち、フルセットで勝ち切った精神力の強さが印象に残っている」と話します。 実は平成初頭は谷川浩司九段(十七世名人資格保持者)がトップの時代でした。 平成2年の竜王戦で羽生さんからタイトルを奪取。平成4(1992)年には史上4人目の四冠王(竜王・棋聖・王位・王将)を達成。七冠独占も視野に入ったとみられていました。 しかし、その直後から「羽生世代」が谷川さんのタイトルに挑んでいきます。同4年9月には、まず郷田さんが谷川さんから王位を奪い、史上最低段でのタイトル獲得(四段)を達成。翌年の平成5(1993)年の年明けには、羽生さんが最終局までもつれ込んだ竜王戦を制し、さらに7月には棋聖も奪取。谷川さんを一冠に追い込みます。 平成前半のハイライトは、羽生さんの「七冠ロード」でしょう。平成6(1994)年、羽生さんは名人、竜王を奪い、史上初の六冠王となります。翌年の第44期王将戦でも挑戦者となり、七冠取りをかけて谷川王将(当時)に挑みました。この第一局後、神戸出身の谷川王将は阪神・淡路大震災で被災しますが、その後も対局を休むことなく、この年の王将戦をフルセット(4勝3敗)で防衛。羽生さんの七冠を阻止し、意地を見せます。 ところが羽生六冠王はその後、すべてのタイトルを防衛し、平成8(1996)年の王将戦でも挑戦者となります。「当時のマスコミの注目度はすさまじく、報道陣の数にも驚かされた」(古作氏)ほどの熱狂ぶりで、決着局では当時としては異例の約250人の報道陣が詰めかけたといわれています。羽生さんの勢いはとまらず4勝0敗のストレートで王将を奪取。ついに七冠独占を達成します。その年に行われた棋聖戦で防衛に失敗し、七冠は半年足らずで終わりますが、その後も羽生さんはタイトル獲得を重ね、平成29(2017)年には竜王を獲得し、永世竜王の資格を得たことで、史上初の永世七冠にも輝いています。