トルシエ監督側近が明かすシドニー五輪「舞台裏」とパリ世代への期待「化け物に変身を」 <パリの主役は君たちだ!>
4、5月にパリ五輪アジア最終予選を控え、サッカーU-23日本代表は22日に京都でマリとの強化試合に臨みます。 【画像】サッカーU-23日本代表26人を発表 2000年シドニー五輪でフィリップ・トルシエ監督の通訳として、32年ぶりの決勝トーナメント進出に貢献したフローラン・ダバディさんに、監督と選手の裏話やオリンピック特有の難しさ、パリ五輪世代への期待を伺いました。
■背水の陣だったシドニー五輪「突破しなければこれで終わり」
1998年のフランスW杯で初出場を果たし、2002年には母国開催の日韓W杯が控えていた日本代表。否が応でも期待が高まるなかで就任したのがフィリップ・トルシエ監督でした。 A代表と五輪の兼任監督として、1999年にはFIFAワールドユース(現U-20W杯)で、FIFA主催の国際大会で史上初めて決勝に進出し準優勝を果たした一方、A代表では、コパ・アメリカで2敗1分の1次リーグ敗退。2000年4月には韓国に敗れるなど成績は上向きませんでした。 ダバディ「コパ・アメリカで惨敗し、いつトルシエ監督が解任されるのかもわからないくらい、危機感がありました。シドニー五輪ではグループリーグを突破しなければこれで終わり、負けられない戦いという気持ちで臨みました」
■強烈な個性の塊だった選手たちは監督との衝突も「トルシエ監督に向かってスパイクがとんだ」
シドニー五輪には、ブラジルのロナウジーニョ選手、スペインのシャビ選手、イタリアのピルロ選手、カメルーンのエトー選手ら各国のスターが数多く出場するなかで、日本代表も、中田英寿選手や中村俊輔選手らA代表経験者に、高原直泰選手ら「黄金世代」のメンバー、さらにオーバーエージで楢崎正剛選手・森岡隆三選手・三浦淳寛選手と、金メダル獲得も期待されるような選手がそろっていました。 ダバディ「このメンバーが日韓W杯でも中心となる予定でした。中田・中村・高原の縦関係が強烈で、このトリオは本当にマジックでした。ロンドン五輪(吉田麻也選手・酒井宏樹選手・宇佐美貴史選手ら)やリオデジャネイロ五輪(遠藤航選手・南野拓実選手・浅野拓磨選手ら)も個性のある選手たちがたくさんいたけど、シドニー五輪は、中田・森岡を筆頭に強烈な個性の塊でした。自分のやり方は絶対に曲げないし、メンタルだけは今よりも強かったと思います」 強烈な個性がそろうメンバーの中で、トルシエ監督が採用したのが、ディフェンダー3人の守備陣形“フラット3”。世界と対等に戦うためには、1人の選手が鍵だったといいます。 ダバディ「チームには“フラット3”のフィロソフィ(哲学)をとにかく指導しましたが、すべてはDF森岡隆三選手次第でした。トルシエ監督と森岡選手は大会期間中もずっと衝突していました。とことん戦術に納得できないと不安にもなりますし、ピリピリして、イライラもして、監督に向かってスパイクがとんだこともありました(笑) ただ、これは不健康なことではなく、向き合い続けたことによって、トルシエ監督は森岡選手に任せられると感じていました。今の世代の選手たちにも、監督にそこまで言える選手がいるのか知りたいですね。嵐の前の静けさはよくないです。どんどん暴れた方がいいです」