福薗伊津美「夫・寺尾は葬儀はいらないといったけれど、通夜に800名、告別式に400名。藤島親方、盟友だった貴乃花…たくさんの相撲関係者が訪れて」
愛弟子の阿炎(あび)クンは、棺に初優勝した時の表彰状を入れていました。「そんな大切なもの! コピーでいいじゃない!」と皆で止めたのですが、「いや、また優勝すればいいので」と言ってね。 長年、寺尾の心臓を診てくださった病院の先生方から、還暦祝いに贈られたくまのプーさんのぬいぐるみも棺に入れました。足の裏にアニバーサリーの刺繍も入っていたのに、新聞には「大好きなぬいぐるみも棺に」などと書かれて、最後の最後にプーさん好きにされちゃったね、と笑ったものです。 私が聞いた最後の言葉は、「また明日来てね、バイバイ」でした。まさかこれきりになるとは、本人も思っていなかったでしょう。 入院したのは、秋場所13日目の9月22日のことでした。自宅で心臓発作を起こして救急車で運ばれたのですが、こういう事態は寺尾の常。月に3回も救急車で搬送されたことがある、いわば常連だったのです。 血圧を測ると上が60、下が40くらいなので、初めての救命士は焦ってしまう。でも運転する方は慣れたもので、「親方はいつもそんな数値だよ」と言うほどでした。
◆心臓に持病を抱えて 世界的な名医たちに手術していただいた寺尾の体には、特別な補助心臓の機械が入っています。だから心臓マッサージはできないのですが、心臓が止まってしまったとしても、補助心臓が機能すると言われていました。ただ、その日は主治医が海外にいたこともあり、かかりつけとは別の病院に搬送されたのです。 そもそも発作を起こして意識をなくしたのは、この時が初めてでした。まったく意識が戻らず、「肝臓にも原因があるのでは」と血液の透析を7回したところ、40日目にしてようやく戻ったのです。 でも、本人にはその自覚がまったくないんですね。「95時間、おじいさんと一緒に舟に乗っていて、迷ったあげく、やっとここに帰ってきたんだよ」などと言う。「それは、三途の川を見たということでは……」と思いつつ、とても口には出せませんでした。 しかも、「そのおじいさんは血縁ではなく、ここの病院の人だった」と言うので怪訝に思っていると、向かいの病室のおじいさんが亡くなったと知って。驚きましたね。 ただ、いつまた意識を失うかわかりません。「今のうちに会わせたい人を呼んでください」と言われて、1回に2人ずつ、5~10分ほどの面会を繰り返し、毎日20人くらいの親しい方が見舞ってくださいました。