「THE HOPE 2024」から見えた傾向と展望 変わらないものと変わりゆくもの
コミュニティの人々を繋ぎとめているのは、“ヒップホップが好き”というモチベーションそのもの
そういった中で、THE HOPEが屋外の開催であるというのは、このフェスのカラーを決める要素として重要だろう。まず、開放感がある。陽が落ち、海風に吹かれながら聴くグッド・ヴァイブスなサウンド――例えば¥ellow Bucksなど――は最高だ。一方で、特に一日目はまだまだ気温が高く陽射しも強く、かなり体力が削られたのは確か。アーティスト側も疲労でどんどん動けなくなっていく観客を盛り上げるのに必死で、「もっと大きい声出せるだろ?」という定番の煽りを、煽りではなくリアルな訴えとして発言していたように思う。 観客のヒップホップリテラシーの問題なのか気候による疲労の問題なのかは判断が難しいが、とにかく全員が盛り上がるようなアンセムと、エデュケーションの意味合いを込めた曲との配合が非常に難しいフェーズに入ってきているのは確か。来年以降、そういった匙加減をどのあたりに定め落としどころを探っていくのか、多くの演者が悩んでいるタイミングなのではないだろうか。 次に、2)Unity&Peaceについて。二日間で最も盛り上がったステージの一つがAK-69とDJ RYOWのスロットだったが、そこでパフォーマンスされた「My G’s feat. SEEDA」、プレイされた「知らざあ言って聞かせやShow(Remix)feat. ZORN」は、ヒップホップ史への言及を含んだ非常に重要な曲だった。AK-69とSEEDAは次から次に怒涛のネームドロップを繰り出し、ZORNは「俺だけじゃねえ 俺らで発展させる日本のHIPHOP 舐めんじゃねえ」というリリックでTOKONA-Xの偉業に花を添える。ヒップホップとは常に自己言及と自問自答を繰り返しながら緊張感を保つ言論ゲームであるが、リスナーの価値観も様々に多様化している今の時代だからこそ、こういった大型フェスの場でステートメント的に発せられる歴史性を内包したUnityの精神は、その意義が増してきているように思う。 あるいは、そういった言及を最後「縁/何かの縁」と結んでいたAK-69とSEEDAのリリックも印象的だった。当然それは、プロデュースに入っているChaki Zulu=YENTOWNに対するリスペクトの意味もあるだろう。Awichのステージで集結したYENTOWNのメンバーも「縁」を強調していたが、こうやって何人ものラッパーがUnityを表現する際に「縁」というフレーズを連呼するのは興味深い。アメリカのヒップホップは、人種差別と階層格差の中で黒人が作りあげてきた表現の場がコミュニティ基盤として確立されてきたが、日本の場合、コミュニティの人々を繋ぎとめているのは“ヒップホップが好き”というモチベーションそのものである。それを私たちは「縁」と呼んでおり、どうしてもふわふわした脆弱なものだからこそ、こういった場でUnityを確認し合う必要があるのだろう。