原爆軽視が根付くアメリカ。『オッペンハイマー』に日本人精神科医が今思うこと
原爆投下から79年。悲願のノーベル平和賞
10月11日、2024年ノーベル平和賞に日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が選ばれた。1945年8月6日広島に、そして8月9日に長崎に原子爆弾が投下されてから79年。日本被団協代表委員の箕牧智之さんが受賞の瞬間、「夢の夢。うそみたい」と頬をつねり、涙を流す姿には喜びの姿こそ、いかに悲願であったのか、そして困難な道のりであったのかを示している。そして、この受賞を見ることなく原爆投下で命を落としていったあまりにたくさんの人たちがいることも忘れてはならない。 【写真】終戦の男女平等の基盤を作った、ベアテ・シロタ・ゴードンってどんな女性!? 今回の受賞に関しては、海外の多くのメディアが関心を寄せ、大きく取り上げている。それは、今回の受賞が過去の出来事ではなく、ロシア・ウクライナ、イスラエル・イランでの核使用の懸念など、今もなお現在進行形の問題であり、“危うさ”が日々高まっていることも大きい。また、核兵器使用にとどまらず世界では、イスラエル・ガザなど、戦争による罪なき市民の殺害が今この時も続いている。 2023年7月、「原爆の父」として知られる理論物理学者ロバート・オッペンハイマーの生涯を描いた映画『オッペンハイマー』がアメリカ公開された際、『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)、新刊『うつを生きる 精神科医と患者の対話』などの著書があるハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞さんの寄稿記事を公開し話題を集めた。内田さんは、長くアメリカに暮らし、日本とアメリカの原爆に対する認識の違いに違和感を感じ続けてきたひとりである。 内田さんにとって広島は祖父の出身地であり、現在も多くの親戚が住み、幼い頃からとても身近に広島での原爆体験を聞いて育ってきたという。そんな内田さんがアメリカで感じた、原爆に対する日米の価値観の違いに対する思いを、改めて再構成し前後編でお届けする。
知らなかったオッペンハイマーの生涯
映画『オッペンハイマー』の主人公になった、J・ロバート・オッペンハイマーという人物について私が知ったのは、夫と付き合い始めた15年ほど前のことでした。 チェリストで当時イエール大学音楽院の博士課程にいた夫は、その日受けた授業にとても感動したと、興奮気味に話し始めました。それは、オペラ作家でグラミー賞にも輝いたことがあるジョン・クーリッジ・アダムズ氏の授業で、彼の代表作であるオペラ『ドクター・アトミック』を題材にした特別プログラムだったというのです。 オペラ『ドクター・アトミック』は、オッペンハイマーの生涯を描いた作品です。ドイツで教育を受け、ユダヤ人物理学者として第二次世界大戦の終焉を強い目的に掲げ、「ドイツ、ロシアよりも先に作らなければならない」と、物理学の知識を提供した原子爆弾の制作を指揮したオッペンハイマー。このオペラでは、「科学的な前進」と「人類にとってのモラル」、この2つの葛藤が丁寧に描かれていたそうです。 この授業の話を夫から聞いた後、私はオッペンハイマーという人物がとても気になり、すぐに彼について調べ始めました。 第二次世界大戦の米国の原爆開発・製造計画の「マンハッタン計画」に加わった一部の研究者は、原爆の威力を見せつけることが目的であるならば、無実の市民を犠牲にするのではなく無人島に核爆弾を投下し、日本に降伏を迫ろうと当時の大統領のトルーマンに請願を提出しました(シラードの請願書)。これをオッペンハイマーは拒否したこと。しかし原爆投下後には、核兵器開発の研究の打ち切りを強く訴え続けたことで「共産主義のスパイ」という疑いをかけられ米国政府から遮断されたこと。そして自身が関わった兵器が多くの人の人生を崩壊したことに、彼が晩年までうなされ続けたことを知りました。 その後、夫とオペラ『ドクター・アトミック』を映像で見る機会がありました。高校時代の文化祭で、隣のクラスが野田秀樹作の原爆をテーマにした演劇『パンドラの鐘』を演じ、それを見たときの感動を思い出しました。 そんなこともあって、アメリカで映画『オッペンハイマー』が公開されたとき、オペラ『ドクター・アトミック』同様の感動があることを期待していました。実際に見た感想としては、オッペンハイマーの人生に関わる複数のタイムラインを同時に話に組み込んだ巧みなストーリー展開、主演のキリアン・マーフィーの圧巻の演技と、戦争に対する葛藤……、オッペンハイマーという人物の壮絶な人生ドラマに引き込まれ、色々と考えさせられる作品でした。「反核」のメッセージも所々に散りばめられていると感じました。でも、心に強く残ったのは、「原子爆弾の被害のあまりの現実感のなさ」でした。 本作は、天才的な科学者であるオッペンハイマーが政治家のゲームに巻き込まれ、「ロシアのスパイ」だと不当な疑いをかけられる半生を軸に展開します。第二次大戦から冷戦に向かうアメリカでは、少しでも共産主義に対してシンパシーを見せると「危険な敵」と見なされる状況だったのです。本来は共産主義と資本主義の二択ではなく、ブレンドも成り立つはずなのに、共産主義と資本主義で「仲間」と「敵」で二分化する主義の分断が作り上げられ、今現在のアメリカ、そして今の世界の分断につながっているのかもしれないと感じました。 オッペンハイマーという人物の壮絶な人生、その背景にあるアメリカ史には引き込まれたものの、現実に起きた日本の被害についてはほとんど描かれていないため、被害の現実感がなく、「遠くの日本という重要ではない国に起きたこと」として語られている印象を受けてしまいました。 この違和感は、「アメリカでは原爆に対する認識が日本と異なる部分はある」という現実があるからです。そして、「リアルな原爆の被害について世界では驚くほど知られていない」という現実があるのです。私はこの現実……、日本人として何とも言えない嫌な気持ちになる居心地の悪さを学生時代から幾度となく経験してきたのです。