<春を駆ける・2020センバツ>選手紹介 航空石川 嘉手苅浩太投手(2年)/井口太陽主将(2年) /石川
◇「一緒に全国制覇を」 幼なじみでライバル 「間違いなくチームの柱」(中村隆監督)と評される2人は、一緒に夢の舞台に立つ日を待ち望んできた。井口太陽主将(2年)と嘉手苅(かてかる)浩太投手(同)。その思いは、幼なじみとしてともに白球を追い始めた少年時代にさかのぼる。 【動画】センバツ出場校、秋季大会熱闘の軌跡 2人は小学1年生から軟式少年野球チーム「広畑コンドルズ」(兵庫県姫路市)で野球を始め、小学5年生時には全国制覇を果たした。嘉手苅投手はU12(12歳以下)アジア選手権の日本代表に選出されたことも。井口主将は「小学生から別格だった。頭一つ、二つ抜けていた」と話す。 中学校時代は主にプレーしたチームは別だったが、放課後に遊んだり、キャッチボールをしたりと、毎日のようにともに過ごした。3年生時には全国大会の決勝で戦い、軍配は井口主将にあがった。井口主将の母恵子さん(53)は「幼なじみでずっと一緒。一番のいいライバルだったんじゃないかな」と話す。 高校進学を控え、井口主将は迷っていた。嘉手苅投手は「甲子園出場経験があり、早めに声をかけてくれた」日本航空石川を早々に志望。複数校から誘われ進学先を決めきれずにいた井口主将だったが、嘉手苅投手の「一緒に甲子園を目指そう」という熱意に押され、2人は再び一緒に野球をすることになった。 「授業中、寝るなよ」「率先して集会の椅子片付けよう」。野球部の仲間に口酸っぱく注意するのも主将の務めだ。「学校の顔だからしっかりしないと」。秋季大会で打率4割7分を超えるなど打線の主軸としてチームを引っ張る。県大会準々決勝の小松大谷戦では、嘉手苅投手が先制の本塁打を許した直後、2ランを放ち逆転。「嘉手苅が本塁打を打たれて、負けてられへん」と奮起した。 嘉手苅投手は190センチ105キロの恵まれた体から最速147キロの速球を投げ込む右の本格派。エースナンバーを背負った秋季大会では肘や腰を痛め「チームのために何もできなかった」と悔しがった。秋季大会9試合で3完投と奮闘した田中颯希(さつき)投手(同)に投の柱の座を奪われた形の嘉手苅投手は「背番号『1』は譲りたくない」と闘志を燃やす。 「期待以上のことをしてくれる存在」(井口主将)、「チームの柱。頼りがいがある」(嘉手苅投手)と互いに信頼を寄せる2人。井口主将は「嘉手苅との夢が実現する。また一緒に全国制覇したい」と春を心待ちにする。