「変化」しないことの大事さは、平穏な日常が失われて初めて気づく
(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト) ドイツ人の哲学者カントは、60歳を過ぎてから規則正しい生活をするようになり、毎夕、決まった時間に散歩をした。町の人は、時間どおりに来るかれの姿を見て、時計を合わせた、という逸話は有名である。 どれほど平穏な日常が大切か、難民キャンプで聞いてみるがいい 当然、毎日おなじ道を歩いたのであろう。 年をとると、これまでのルーティンを変えることが億劫になるのは、経験的にそのとおりである。 オバマ元米大統領のキャッチフレーズ「チェンジ!」「イエス・ウイ・キャン」は、無条件にいいこととして、若者たちを中心に、人々の心をつかんだ。 しかし「変化」していいこと、しなければならないことは、ものによる。なんでも、変えればいいというものではない。 わたしは自分の生活を変えることに保守的である。年のせいかどうか知らないが、自分の生活に変化を全然求めていない。決まったルーティンは楽なのだ。 ■ いくつかある散歩コース、だが道は外れない さすがの暑さも和らいできたので、半年ぶりに「歩き」を復活した。歩数計(万歩計)を着け、歩き始めた。 わたしの市内歩きのコースはいくつかある。最短は7000歩くらいのショッピングモール往復のコースから、最長は市内1周大廻りの2万5000歩まである。 しかしコースはいくつかあっても、その道から外れることはない。ひとつのコースを歩きながら、横道を見たりすると、ああ、こっちの道は歩いたことがないな、と思うことがよくある。 そういえば、歩いたことのない道ばかりだな、たまにはこっちに行ってみるか? と軽く誘惑されかかるのだが、結局、その道に入りこむことはない。 どこにつながっているのかわからない道に迷いこむ不安があるからである。ただの迷子のじいさんになってしまう。 道を変えるにも、ちょっとした勇気がいるのだ。
散歩やランニングが趣味の人もそうではないだろうか。決まりきったコースはその点、安心なのである。 以下は余談である。 久しぶりに歩きはじめ、相当歩いたなと思う所で、歩数計を見てみると、わずか43歩。 なんだこりゃ、壊れてるのか、と思った。しかし半年使ってなかったとはいえ、こんな単純な機械がそうそう壊れるはずもない。 そうか、電池が切れてるのかなと思い、交換した。しかし、変化なし。 おかしいな、着ける位置かなと思った。わたしはベルトの右前面に装着していた。それを側面に移動してみた。 当たりだった。 なんだ、こんな単純なことだったのか。そういえば、以前はこの位置に着けてたな、と思い出した。歩数計は着ける位置が大事である。 それで、初日は7430歩。 効果てきめんである。それまでは血圧が130前後だったのに、その夜は110台に落ちたのである。 その後、7000歩台がつづき、5日目には1万歩超えとなり、以後、順調である。 ■ 初めての道、新鮮なのは最初だけ 余談をもう一つ。 NHKの「趣味どきっ」で「歩く歩く まんぽ旅」という番組が、10月から始まった。 録画して見たが、「一万歩の旅にでかけよう!」とあるけれど、これは散歩番組だった。ちょっと期待していたのとちがうのである。 わたしがやっているのは、早歩きの、健康のための歩きなのである。いわゆるウォーキングというやつである。 だがこの「まんぽ旅」は、途中で、有名な歴史的建築物に寄ったり、花を観察するのに路傍にしゃがみこんだり、商店街を歩いたり、写真を撮ったり、と教養知識を養うような散歩である。