カーリング娘の活躍から何を学ぶか―日本的経営の新側面と笑顔の安全保障
日本選手の活躍に沸いた平昌オリンピック。日本勢最後のメダル獲得となったカーリング女子チームの健闘ぶりは、大きな話題となりました。カーリング女子チームの戦いぶりから感じた高い経営力やコミュニケーション力などについて、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏が執筆します。
最後の一投はミスではない
閉会式を終えて、平昌オリンピック最後で最大の話題は、金メダルではなく銅メダル、女子カーリングの快挙だ。モーニング娘と語呂が似て「カーリング娘」という言葉も定着しつつある。 アナウンサーのほとんどは、イギリスの最後の一投を「ミス」とし、棚ボタ的に日本が勝ったような報道をしていたが、筆者はそうは思わない。スキップの藤沢五月選手自身が「最後に自分がミスをして」と発言したが、謙遜もあるのではないか。 たしかに藤沢の最終ショットにはわずかなミスがあり、味方の石に当たって目的地点より少し前に止まってしまった。しかしこれは神のなせる技(ミス)であった。イギリスは1点取るのは容易であったが、それでは不利な先攻の延長になってしまう。 カーリングは先攻が圧倒的に不利なのだ。なんとしても2点取りたい。そこで勝負に出る。日本の石に当たるまではよかったが、その石がイギリスの石に当たって、中央部付近にとどまってしまった。ミスといえばミスだが、考えてみれば、ああいう結果になることは、ある程度読めるはずだ。最後の一投、ミスではない。イギリスの賭けであり、天(神)の配剤である。 さすがに専門家は、それよりも第9エンドのイギリスの最終投にミスがあったことを指摘していた。たしかにそれが第10エンドの結果につながったのだ。 それにしてもこれで、カーリングに詳しい人とそう出ない人に大きな開きができたようだ。明らかにあまり分かっていないと思われるアナウンスもコメントも出ている。全体的に好印象だったのは上村愛子で、メダルを取れなかったことが逆に人間の幅につながっているような気がした。