就職難で「自衛隊に入ろう」と考えていた…稲盛和夫が44年間で悟った「成功するために必要なたった一つのこと」
■新卒で入社したのは赤字続きのボロ会社だった 私の場合もそうです。私は昭和30年、大学を出て会社に入りました。終戦から10年しか経っていませんので、まだ日本の国は騒然としていました。 その中で、入った会社は終戦から10年間ずっと赤字続きで、銀行管理になっており、給料日になっても給料は払われません。1週間待ってくれ、10日待ってくれと、給料を遅配するような会社でした。 そんな会社ですから、5人の大卒が採用されたのですが、入社した瞬間から会社に対するロイヤリティはなくて、採用された5人みんなで「辞めよう、辞めよう」と言っていました。入った日から、5人が集まると、「辞めよう、辞めよう」と言い合っていたわけです。 一人辞め、二人辞め、結局最後に残ったのは私と京都大学を出た者、ともに九州出身の男二人だけになりました。 ■自衛隊の幹部候補生学校を受験した 当時はたいへんな就職難です。どこにも就職できない中を、やっとその会社に採用してもらったのですから、辞めようと思っても行くところはないわけです。それなのに、その二人は、寄ると触ると「こんなボロ会社にいつまでもおってもなあ。早う辞めよう」と言っていました。 その頃、ちょうど、自衛隊の幹部候補生学校入学の募集がありました。 私どもの学生時代は就職難でしたから、成績があまりよくなく、民間企業に就職できない人は、みんな自衛隊の幹部候補生学校に行っていました。 私たちは二人して、「その連中と1年遅れになるが、こうなったら幹部候補生学校にでも行こう。こんなボロ会社におるよりはよい」と話し合って、幹部候補生学校を受験しました。 二人とも合格しましたが、友達のみが幹部候補生学校に行きました。私は入学手続きをする際に、田舎から戸籍謄本を送ってもらえなかったために行けなかったのです。結局、私一人だけが取り残されました。