円谷プロから着ぐるみを借りて……大学時代の河崎実監督がつくった完コピ8ミリ映画『√ウルトラセブン』
自主映画を見る・作ることに夢中になった学生時代
―― 自分の作品と16ミリの円谷作品を同時上映? 河崎 そうそう。それに今活躍しているライターとか、のちにプロになった原口智生(注1)とか、その時にみんな観に来てるのよ。大学で上映会をやって、満員。 ―― 河崎さんは明治でしたっけ? 河崎 明治大学なんだけど、他の大学からも見に来てるんです。そのころは『ウルトラ』とかそこに来ないと観れないから。 ―― 『ぴあ』に情報を出したんですか? 河崎 そうそう。完全に『ぴあ』です。今日、持ってきたけどね。こういう感じで情報を出して。 ―― 自主映画欄のページですね。 河崎 これに載るのがすべてだったんですよね。これに情報が集約されていた。 ―― 河崎さんも『ぴあ』を見て上映会に行ったりしていたんですね。 河崎 もちろん。東京でやっているのはすべて行ったと言っても過言じゃないんじゃないかな。『ウルトラ』に限らず、若大将とかクレージーキャッツの映画も大好きだから。 ―― 河崎さんはお家が何屋さんでしたっけ? 河崎 フグ料理屋だったの。超高級なね。大企業の社長とか、王貞治さんとか、そういう人しか来ない。とんでもないフグ屋だったね。もう当然ないんですけどね。 ―― 加山雄三の若大将の家はすき焼き屋でしたっけ? 河崎 すき焼き屋。その息子で道楽者だから、設定に勝手に親近感を覚えて。それで、のちに自主映画でこういう映画を作ったんだけどね。(とチラシを出す) ―― これ、自分で若大将を演じましたね。 河崎 『イキナリ若大将』っていうね。 ―― 大学の時ですか? 河崎 これは大学を出た後に、就職しないで作ったんですよ。大学の卒論みたいな感じでこの映画を作ったんだけどね。
大学で『フウト』『√ウルトラセブン』を撮る
―― 順番にお聞きしていきますね。最初の8ミリ作品を作ったのはいつですか? 河崎 77年だから、大学1年です。 ―― それが先ほど言っていた、円谷作品と一緒に上映した映画? 河崎 そうそう。『フウト』といって、先輩が監督なんだけど、俺は美術とか特撮、ダビングとかやったんだけど。すき焼きの具が隅田川に落ちて、豆腐とネギと肉が巨大化して、後楽園球場がすき焼きになるっていうとんでもないバカ映画で。 ―― 学生時代に見ました。あれ、着ぐるみじゃなくて人形ですよね。 河崎 スポンジで作って糸で動かしていた。あと、大学の屋上で勝手に、ミニチュアというか、箱でビルを作って。で、燃やしちゃうんですよ。その後、『ウルトラセブン』の8ミリ映画(注2)を撮ったんですよ。これはもう、パロディじゃなくて完コピしてやろうということで。 ―― 結構真面目に作ってましたよね。 河崎 うん。僕は中1から祖師谷にあった円谷プロにチョイチョイ遊びに行っていたんですよ。円谷プロは、当時は撮影が終わったものはボンボン捨ててたんです。それをくれたわけ。で、ウルトラ警備隊のヘルメットがあって、それをもらって、これで映画を作れるんじゃないかと。じゃあセブンはどうするんだとなった時に、円谷プロはウルトラセブンとウルトラマンの着ぐるみを一般に貸していたんですよ。1週間いくらで結構安く。俺も運動会で借りますとか言って、それで映画を撮ってるっていう(笑)。恐ろしいよね。 ―― ウルトラ警備隊の制服は作ったんですか? 河崎 制服なんてTシャツにガムテープを貼っただけの。 ―― その程度ですか。 河崎 あと、メカとかを紙で作ってね。で、『ウルトラセブン』をでっちあげた。これもみんな観に来てあきれてたよね。