“昭和99年”語り継ぐ 家族が語る復員兵の『PTSD』 「みんなで死のう」戦争のトラウマで家族に向けた狂気「根っこは戦争。みんなの問題なんだ」 精神に不調きたし入院した日本兵は約1万人
保管作業に携わった元軍医は、次のように記しています。 【国府台陸軍病院 元軍医 浅井利勇さんの著書より(原文のまま)】「貴重なこのあかしを、真実を、残しておきたい」 「これらの患者は、考えてみると大戦がなければ、或いは彼等が経験したような人生の悲劇をせずに済んだかもしれない」
藤岡さんのような、戦争で心に傷を負ったとみられる日本兵の家族が、自らの体験を語る動きが今、広がっています。 【黒井秋夫さん】「私共のこの会は、日本人の兵士が、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になり、その父親たちが子どもたちに暴力ふるったり、自殺したり、アル中になったり、そういうことでもって苦しんだ父親たちやその家族です」 黒井秋夫さん(75歳)は、「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の代表をしています。
【黒井さんのホームビデオより】「おじいちゃん、ピースしてくれ。早くしてくれよ」 孫から話しかけられても、一言も言葉を発しない高齢の男性。黒井さんの父、慶次郎さんの晩年の様子です。 34歳で戦地から生きて帰ったものの、亡くなるまでのおよそ40年間、定職にもつかず、家族は貧困にあえいでいました。 【黒井秋夫さん】「ただいるだけ。それが普通だったんで、期待もしないし」 「とにかく、こういう人間には絶対、俺はならないと」 しかし数年前、偶然見たドキュメンタリー番組が転機に。ベトナム戦争帰りのアメリカ兵がPTSDに苦しむ姿が、父親と重なったのです。
軽蔑すらしていた父親のことを知ろうと、遺品のアルバムを見ると、写っていたのは、別人のような勇ましい顔つきをした、軍服姿の父親でした。 慶次郎さんは、陸軍の兵士として約7年間、中国大陸の戦地でゲリラ討伐など、過酷な任務に従事していたことも分かりました。 知れば知るほど、黒井さんもまた、「父親は戦争によって“抜け殻”のようになったのではないか」と思うようになりました。