“昭和99年”語り継ぐ 家族が語る復員兵の『PTSD』 「みんなで死のう」戦争のトラウマで家族に向けた狂気「根っこは戦争。みんなの問題なんだ」 精神に不調きたし入院した日本兵は約1万人
その後、離婚が成立し、母親に引き取られた藤岡さん。父親が亡くなったのは、そのすぐ後。藤岡さんが9歳の頃でした。 【藤岡美千代さん】「うれしくて、うれしくて。もうあんな人いないんやって。死ぬっていう意味はよく理解できていない。ただ、死んだらいなくなるっていうのはもう分かってるので、私はもうスキップして、『やった、やった』って何回か万歳しましたね」 自殺だったと知ったのは、何年も後のことでした。
親戚からは、「戦争に行く前は優しかったが、帰ってきたら人が変わってしまった」と口々に聞かされました。 すぐには受け入れられず、最初は父親のことを忘れようとした藤岡さん。それでも、ふとしたきっかけで虐待の記憶がよみがえり、一時的に精神が不安定になることもありました。 そんなことを繰り返すうち、藤岡さんは「父親は、戦争でのトラウマによって精神に不調をきたし、虐待をするようになったのではないか」と考えるようになりました。 【藤岡美千代さん】「心の中で父を抹消してしまっていた自分に対する贖罪(しょくざい)というか、もっと父のことをちゃんと知るべきだったなという、それはすごく大きいんですね」
■約1万人の日本兵が精神に不調「敵が迫る声が聞こえる」
実は戦時中、日本兵が戦地でのトラウマから精神疾患を発症し、幻聴や幻覚などに悩まされる事態が相次いでいました。 日本軍は、表向きにはその事実を隠した一方、精神に不調がみられた日本兵の数は、軍の病院に入院した兵士だけでも、およそ1万人といわれています。 このうち、およそ8000人分のカルテのコピーが、千葉県内の病院に今も保存されています。終戦後、軍が焼却を命じましたが、軍医たちがひそかに保管していたのです。
カルテには、さまざまな症状に苦しんだ兵士たちの様子が克明に記録されています。 【中国大陸に出征した陸軍歩兵のカルテより引用】「山東省ニテ 良民六名殺シタルコトアリ 之ガ夢二出テ ウナサレテナラヌ」 「特ニ幼児ヲモ一緒ニ殺セシコトハ 自分ニモ同ジ様ナ子供ガアッタノデ 余計嫌ナ気ガシタ」 わが子と同じような幼い子供を殺さねばならなかったという苦しみ。 そして、砲弾を足に受けてから不眠症状などが表れた陸軍の歩兵。 【中国大陸に出征した陸軍歩兵のカルテより引用】「何ヲ質問スルモ 『スミマセヌ』『スミマセヌ』『殺シテ呉レ』トイフ」 「敵ガ迫ル声ガ聞コエルトイフ(幻聴)」