“昭和99年”語り継ぐ 家族が語る復員兵の『PTSD』 「みんなで死のう」戦争のトラウマで家族に向けた狂気「根っこは戦争。みんなの問題なんだ」 精神に不調きたし入院した日本兵は約1万人
戦争が終わり、生きて帰れたのに、心に傷を負った復員兵たち。 彼らの多くは、家族にその狂気を向けました。 ■【動画で見る】『狂った父親』壮絶な戦地の記憶 家族に向けた狂気 復員兵のPTSD『精神疾患』発症 終戦後「カルテ」の焼却を命じた軍 壮絶な経験をした家族たちが語り始めた、知られざる「戦争トラウマ」の現実です。
■父の死に万歳…しかし「父のことを知るべきだった」
家の階段に飾られた家族写真の中で、1つだけハンカチがかけられた写真があります。 大阪市東淀川区でカフェを営む藤岡美千代さん(65歳)は、今は亡き父親の写真を、直視することができずにいます。 【藤岡美千代さん】「(父の写真は)まだちょっと見られないですね。まだまだそういう記憶の方が、実際に体に受けた痛みの方が思い出される」
【藤岡美千代さん】「夜中にガバっと父が起きだして、子供の寝ている布団をはいで、敵をやっつけるぞって顔で、大魔神みたいに目が吊り上がって、私とか兄がつかみあげられて柱に投げられたりとか、踏みつけられたりとか」 藤岡さんの父、古本石松(ふるもと・いしまつ)さんは、鳥取県の農家出身で、21歳の時に召集され、海軍に配属されました。
終戦の時に所属していたのは、千島列島にある航空基地。ソ連軍によって、極寒のシベリアにおよそ3年間抑留されました。 復員後に生まれた藤岡さんにとって父親は、酒浸りで、定職にもつかず、家で暴れてばかりの存在でした。 【藤岡美千代さん】「私を正座させて、『お父ちゃんはな、トラックの運転をしながら、敵の砲弾の中、救援物資を運んだんや』って言う」 「で、そうかと思うと、雨が降ると、部屋の隅っこでガタガタ震えながら『あいつが殺しに来る』って」 「突然夜、私と兄を起立させるんです。『起立!』ビシっ!って、軍隊みたいな感じですね。ピシっと立たせて、『起立』って言うんですよ。私と兄がピシッてすると、台所のプロパンガスの栓を開けて、シューってガスが出るんですよ。それをすると、お父ちゃんは『みんなで死のう。みんなで死ぬんだ』って言って。私の中では『心中ごっこ』ってネーミングしてるんですけど」 「そしたら母が半狂乱になって、『死ぬんだったらお前だけ死ね』って、ガスを止めに行くんですね」