日清食品を創設した『まんぷく』萬平のモデル・百福。「これは世界的な商品になるかも…」<チキンラーメン>との商品名が付いた成り行きとは
◆「日清食品株式会社」を創設 発売から約四か月たった12月20日、成功を確信した百福は「日々清らかに豊かな味を作りたい」という願いを込めて、「日清食品株式会社」を創設したのです。 同じ頃、建設中だった高さ三百三十三メートルの東京タワーは完成まであと三日でした。 転んでは立ち上がり、立ち上がってはまた転ぶ。文字通り「七転び八起き」の人生に一区切りがつきました。 百福、四十八歳。「ずいぶん遅い出発ですね」とよく言われました。 しかし、百福の答えはいつも同じでした。 「私が即席麺の発明にたどりつくには、やはり四十八年間の人生が必要だった」 日清食品を創業した百福は、チキンラーメンの開発を支えてくれた仁子を取締役に、須磨(仁子の母)を監査役に登用して、二人の永年の献身的な苦労に報いました。 長男の宏寿は専務になりました。定職についたことで落ち着き、中西妙子と結婚して身を固めました。芳徳、光信の二人の男児をもうけました。百福にとって初孫と二番目の孫です。二人は小さい頃から仁子によくなつき、仁子も二人ををたいそう可愛がりました。 百福はのちに、宏寿に社長の座を継がせましたが、二人の間に経営観の違いが生まれて、わずか二年で社長を退任しました。 宏寿は晩年、仁子への思いをこう語りました。 「仁子さんには感謝している。私にとても気を遣ってくれたことへの深い恩義を感じている」 ※本稿は、『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(安藤百福発明記念館編、中央公論新社刊)の一部を再編集したものです。
筒井之隆
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