いきなり“減俸”になった男も…「入団前に不祥事」が発覚したプロ野球選手たち
入団発表直前の不祥事に、ロッテ側も「仮契約は有効じゃない。契約しないかもしれないし、彼がしっかり反省して契約を結ぶことになったとしても契約金、年俸が少なくなる可能性はある」(石川晃副代表)として、12月9日の入団発表に出席するために上京していた大嶺を石垣島に“強制送還”。その後、学校側の処分が明けるのを待ち、反省具合をチェックしたうえで、翌10年1月22日に年俸50万円減で正式契約を結んだ。 謹慎期間中に担当スカウトと寺で座禅を組み、「石の上にも三年」という言葉に感銘を受けたという大嶺は「社会は野球だけじゃなくルールがあることがわかった。しっかりルールを守って頑張りたい」と“改心”をアピールした。だが、18年6月、多重債務による金銭トラブルを理由に電撃任意引退。社会人として成熟できないまま球界を去った。 2012年の西武2位・相内誠(千葉国際)も、仮契約後の12月4日未明、車で東京アクアラインを走行中、スピード違反と仮免許運転違反で千葉県警に摘発され、無期限停学処分を受け、西武側も入団交渉を凍結。謹慎明け後の面談を経て、翌13年3月10日に入団が発表された。 だが、14年1月にも未成年の飲酒・喫煙で処分を受け、20年4月にはコロナ禍で不要不急の外出が禁じられていたにもかかわらず、ゴルフをするためにチームメイトと車で外出するなど、素行が改まらず、同年限りで自由契約になった。 プロ入り後、校内で暴行事件を起こしていたことが明るみになったのが、1980年のロッテ1位・愛甲猛(横浜)だ。 愛甲は夏の甲子園で全国制覇した直後の同年9月、当時交際していたガールフレンドとの関係について、チームメイトが悪口を言っていたという話を聞き、本人を問いつめたところ、「言った」「言わない」で話がこじれ、右顎を殴打。骨折させてしまう。 事件が表沙汰になると、後輩に迷惑がかかるので、「ふざけて教室の扉に顎をぶつけた」と口裏を合わせたが、11月初めに事件を知った渡辺元監督が関係者から事情聴取して校長に報告。同下旬、県高野連にも「二人が喧嘩をしたが、和解が成立しているし、校長も厳重注意した」と説明した。県高野連も「よくあること」と判断して日本高野連に報告しなかった。