佳子内親王はどこへ行く? 「アイドル化」と「バッシング」の間を揺れ動く報道から見えてくるもの
佳子内親王の「信念」
その後、佳子内親王は姉の公務を引き継ぎ、積極的に活動を展開していく。ジェンダー平等を強調する姿、手話などを駆使して障がいを持つ人々と交流するあり方、そうした公務の様子をメディアは大きく報じた。それらは、新しい世代の女性皇族の公務のあり方として、好意的に取りあげられている。特にジェンダー平等については、社会の変化にふさわしいものとして注目されている。女性が天皇になることができず、結婚すれば皇室から離れていく女性皇族は、むしろジェンダー平等とは逆の存在であり、その事実を考えると女性皇族は「権威」のなかの存在である。その一人である佳子内親王がジェンダー平等を強調すること自体、矛盾と言えなくもないが、しかしあえてそのような活動をしていること自体に、彼女の信念が見えてくる。「人間」として生きたい、という意思のあらわれだろう。そのことをメディアも好意的に見て、積極的に報じているのではないか。
メディアは私たちの「鏡」
一方、ネットのなかでの秋篠宮家批判は止まっていない。それは佳子内親王にも向けられている。Yahoo! のコメント欄やXなどのSNSは、その言動や服装などの外見を批判したり揶揄したりする言葉であふれている。また、女性週刊誌などでは結婚相手などが取り沙汰されることもある。今なお佳子内親王を「消費」する状況が続いているのだ。 以上のように、佳子内親王に関する報道を見ていると、皇室がメディアによって時に「権威」として、時に「人間」として、さらには時に「消費」される存在として取りあげられてきたことがよくわかる。どれか一つの軸に振れるわけでもなく、その時々の情勢によってそのトーンは変化する。メディアは人々の皇室観を映す鏡のようなものである。だから皇室とメディアの関係は、私たち自身の問題なのだ。 ◎河西秀哉(かわにし・ひでや)1977年、愛知県生まれ。名古屋大学大学院文学研究科博士課程後期課程修了。博士(歴史学)。名古屋大学大学院人文学研究科准教授。著書に『「象徴天皇」の戦後史』(講談社選書メチエ)、『皇居の近現代史 開かれた皇室像の誕生』(吉川弘文館)、『近代天皇制から象徴天皇制へ 「象徴」への道程』(吉田書店)など。編著に『戦後史のなかの象徴天皇制』(吉田書店)、『平成の天皇制とは何か 制度と個人のはざまで』(共編、岩波書店)、『昭和天皇拝謁記 初代宮内庁長官田島道治の記録』(共編、岩波書店)など。
河西秀哉