生徒の半数が「落ちこぼれ」…どん底で27歳の中学教師が始めた「夜の学習会」が教育現場を変えた
分数、小数が理解できず、教師には暴言で応酬、学習規律もない……そんな「荒れた」学校に20代で赴任した長谷川博之氏(公立中学校教諭)は、現場を変えるため、まず保護者を巻き込む試みを次々と行った。学校の変容に大きく貢献したそれらの活動は、果たしてどのようなものだったのか。長谷川氏の著書『生徒に「私はできる!」と思わせる超・積極的指導法』をもとにした特別記事をお届けする。 【画像】死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由
不意に暗転した保護者との懇親会
ある年の2月中旬、毎年恒例の学校評議員の懇親会に参加した。評議員のほとんどを占めているのは、その前年まで私が担任していた生徒たちの保護者だ。だから私も呼ばれたのである。 とうの昔に引退した先輩の教職員に話を聞くと、「以前は保護者と本音で語り合う場が年に何度かあって、それがとても大事な役割を果たしていた」と教えていただいたものだが、それが当時はまだあった。思い出しても頭の下がる思いがする。 私は保護者との集まりは何度も経験していた。会合の席ではアルコールを避けるようにしていたが、この日だけは19時から深夜零時まで、大いに飲み、語った。大人数で当時の私の勤務校の教育のありかたや、卒業生の「いま」を語る会となったが、保護者の面々からはうれしい報告をたくさん聞いた。 ・高校1年生になった子どもが生徒会本部に入って活躍している ・勉強で学年、学科のトップを走っている ・部活動で関東大会に出場した、今も日記を続けている ・親と会話ができるようになった などだ。 中学3年間のさまざまな思い出話にも花が咲く。授業参観、保護者への授業、夜の学習会(後述する)、冬休みに行なった数学・英語・理科の補習、合唱、卒業式……。思い出してしんみりしたり、怒りを共有したり、どっと笑ったり。 教職員への激励の言葉もたくさんいただいたが、一方で学区の小学校への苦情もまた、多々聞かれた。
嘆息する保護者たち「運なのよね」「選べないもの」
勤務校で毎日、子どもたちと接している私は、生徒たちから小学校でのおおよその出来事は聞いている。保護者からときおり寄せられる手紙でも実態は知っていたが、それにしても酷いことが幾つもあったのだという。 いつもは物静かな保護者が、文字どおり絞りだすようにして語った。 「小学校では我慢するしかなかったんです。だから中学にも期待していなかった。でも、あの入学式の日、教室で先生の話を聞いて大きな期待を抱いたのです」 別の保護者が言う。中学校の部活動の外部指導を務めている方だ。 「サッカー部なんてね、ほんとうにたいへんな子の集まりだったんだよ。小学校時代に授業に出ず遊んでいた子どもたちの集まりだったんだから。担任と暴言のやり合いはするわ、授業参観で机の上を飛び回るわ、やりたい放題の子どもたちだったんだから。俺だったら絶対、見放すね。数回関わっただけでも、我慢がならなかった。だって、言葉が通じないんだから」 私が過去にうけもち、成長させた生徒たちのことだった。 「先生との出会いなんだよ」 「運なのよね」 「選べないものね」 保護者の本音がびしびしと突き刺さる。 「先生、誰が小学校に物申すんだい。やっぱり校長の仕事でしょう?」 「そうでしょうが、職場の『和』やらなんやらで、誰も言わないんです」 勤務校では小中連携事業を進めている。だから私は中学の校長に、 「小学校に『もっとシャキッとしろ』と言ってください。連携事業を進めているのは中学だけ。割りを食うのは子どもたちなんですよ」 と何度も訴えてきた。 だが、校長は苦笑いするだけ。何か事情があるのか、それとも単なる遠慮なのか、いずれにしても「物申す」には至らない。この状態で何より困っているのは子どもたちなのに。 私がいる県には、小中一貫教育を進めるねらいで「兼務教員」の仕組みが設けられている。たまたま私がその辞令をもらったときは、中学校で教えるかたわら、週1回は小学校で勤務し、算数ができない小学6年の子たちに算数を教えたり、あるいは小学校の教師と校内研修を行い、模擬授業を通じて技術を磨いてもらう機会をつくるようにしていた。そうやって私なりに小中連携を進めてきた。 この地域では、小学校から入学してくる段階で半数ほどの子どもが、学力や規範意識の面で落ちこぼれていた。 いや、大人の不作為によって、落ちこぼれるほうへと「追いやられて」いた。 中学に入学する時点での子どもたちの学力は「極めて低い」と言わざるを得なかった。分数や小数ができない子がクラスに半数以上もいた。 学習規律も、生活習慣も、ほとんどの子どもに身についていなかった。だから中学では、ゼロからの出発だった。 これは私だけの意見ではない。理科や数学の教員も途方に暮れていた。十年以上前のことだが、令和のいまもこの状況は変わっていない。少し「まし」になった程度である。 小学校を責めたいわけではない。中学校も「選べないものね」と、保護者から陰で批判されているかもしれない。そんなふうに想像すると、背筋が伸びる思いがする。