度重なる緊急事態を克服 なぜドイツが優勝できたのか
水沼氏は言う。「各クラブで育った優秀な若手選手がバイエルンにどんどん集まる流れが、ブンデスリーガに生まれて久しい。もっとも、人材を放出したクラブにはすぐに新しい若手が出てきて、試合の中で成長していく。いい意味での循環ができあがっていると思う。ユーロ2000を現地で取材したときに、ポルトガル、ルーマニア、イングランド相手に1勝もできず、グループAの最下位で敗退したドイツの惨状にとにかく驚かされた。選手の運動量が極端に少ないから、流動性も生まれない。このまま終わってしまうのではと思ったほどで、関係者は相当な危機感を抱いて改革に取り組んだと思う」。 ■ドイツは育成システムを変更 ユーロ2000で喫した惨敗を受けて、ドイツは育成システムを抜本的に変えた。全国に366の育成センターを設置し、それまで見落としがちだった、一芸に秀でた子どもたちを発掘する拠点とした。ドイツ・サッカー協会から派遣される指導者に見出された子どもたちは地域選抜、年代別のドイツ代表へとステップアップしていき、最終的にふるいにかけられたエリートたちを最後は各クラブが責任を持って育成する。 各クラブは選手寮を設けることを義務づけられ、食事や生活環境、家庭教師を雇う教育体制などでブンデスリーガから星の数でランク付けされる。ピラミッド型のシステムで見出され、プロ契約を結んでブンデスリーガでデビューし、ドイツ代表に招集されたのがエジルやミュラー、ケディラ以降の世代だ。ここで見逃せないのが、ステップアップを果たしていく過程で国籍が問われない点だ。 ■外国人枠が撤廃されたブンデスリーガ ドイツには歴史上、近隣諸国からの移民の子孫が多い。エジルはトルコ系移民の3世で、ケディラはチュチュニジア人の父親を持つ。ドイツ・サッカー協会はブンデスリーガの下部組織に最低5年間所属した選手に対して、A代表を選択する際にドイツ代表としてプレーする道も用意した。国籍は問われないので、極端な話、日本人でも才能次第でドイツ代表になれるわけだ。