つんく♂語る【前編】令和もここにいるぜぇ!ミュージシャンとして、プロデューサーとして
AKB48「ヘビーローテーション」に“やられた”感
モーニング娘。のナンバーには、ポジティブなメッセージを込めることを意識していたのかと水を向けると、つんく♂は首を振った。 「シングルでもセンシティブな歌もあるし、とくにポジティブな曲を心がけていたわけじゃないんです。僕は作り手であるけれどファンでもあるというか、自分が高校生でモーニング娘。のファンならどんな曲を買うかって考えていました。担当マネージャーが気に入ったからとか、レコード会社の思惑とかタイアップありきだなとか、そういうのは冷めるんですよ。ファンとして買いたいと思える曲づくりを最初に考えていたので、当初はメッセージも彼女たちの心の叫びをどう曲にしてあげるか、ということでした」 また、時代の移ろいとともに、作詞における言葉の変化を感じる部分もあるという。 「たとえば昭和の歌は、『あなた』『お前』というのが多い。あなた変わりはないですか、みたいな。それが平成に入ってからは『君』が増えてきた。男と女の距離感が変わってきたんでしょうね。もう『お前』っていうのはあまりないんじゃないかな。お前のことを一生面倒みるぜみたいに歌っている歌手、いるかな。なので逆に『LOVEマシーン』の『あんた』というのは、時代の中では新鮮に轟いたように思います」 そんなつんく♂が時代を反映していると感じた作品の一例に、AKB48の2010年発売のシングル「ヘビーローテーション」をあげた。 「秋元康さんが、あの時代あの時期に『アイ・ウォンチュー』とか、あんなベタな歌詞をありなの!?って。それをあえて、ぶつけてくるところにプロを感じました。あ、やられたってね。パネルクイズアタック25の角を取られた感満載でした(笑)」
太陽とシスコムーン、松浦亜弥がいたからこその境地
モーニング娘。では「LOVEマシーン」が初期のターニングポイントになったのは間違いないが、その次の世代を作ったのは2012年リリースの「One・Two・Three」だという。 「あれがきっかけで、モーニング娘。もハロー!プロジェクトも、AKB以外のアイドルたちのあり方も変わっていったように自負しています。楽曲のあり方や見せ方も、『つんく♂さん、そこ行くんすね!じゃあ、うちらはこう行きますよ!』みたいな、アイドルの作家陣もあの手この手で攻めてきて、一気にJ-POP文化が進化したように思います」 モーニング娘。メンバーの意識も変わり、MVやダンスのあり方も変わっていったという。 「9期・10期の連続投入は大きかったですね。踊れる鞘師、石田が揃ったのは大きかった。個性のある濃いメンバーも出揃った。譜久村、生田、佐藤、飯窪、工藤に鈴木、今思えば完璧でしたね。そこに11期の小田の歌唱力。野球部の監督だとしたらクリーンナップ含めて、このレギュラーメンバーで勝てない試合はないと思うほどだったと思います。そのモーニング娘。に引っ張られて、Berryz工房や℃-uteも10年選手として開花したように思います。それまでずっとハロー!プロジェクトの末っ子感があったのに、急にアネキ分に変身し、あっという間にアイドルが憧れるアイドル像を自らの手で手に入れてったように思います。あの時の完成形の流れがハロー!プロジェクト全体の今につながってると思いますし、だからか、そういう意味での僕の役割は終焉を迎えたのでしょうね」 ただ、ここで言いたいのは……と、つんく♂は切り出す。 「ハロー!プロジェクトを語るのにどうしてもモーニング娘。の歴史中心に質問されることが多いですが、そこにたどり着くには太陽とシスコムーンや松浦亜弥がいたからだし、シャッフル企画の成功もあった。その他の多数派生させたユニットやグループがあったから、というのは忘れないでほしい。とくに太陽とシスコムーンでトライしたことは、僕の音楽スキルを何段階も引っ張り上げてもらえたし、松浦亜弥で作った作品達は手作りの陶芸品のような、そんな気持ちで作り上げた作品揃いです」 【後編】「日本の未来は…子どもたちに充実したエンタメ教育を」につづく