つんく♂語る【前編】令和もここにいるぜぇ!ミュージシャンとして、プロデューサーとして
奥田民生さんのPUFFYサウンドに「はい、これ!」
アイドルは自身で楽しむものであって、作るものではないと思っていたとか。 「これは当時小学生だった僕の感性の話なので、正解かどうかは別として、僕が感じていたのは、僕が小学生の3、4年生までに世の中にあったアイドルサウンドは、それ以外のサウンド(世間のヒット曲)と刺激力の上で変わりなかったように感じていたのに対し、高学年に入ったあたりからのアイドルソングは急に簡素化され、形式化されてったような気がしました。なんというかロック魂を感じなくなっていったというか……。ビートルズ、美空ひばり、西城秀樹、ピンク・レディー、キャンディーズ、松田聖子、田原俊彦を聴くのと、ゴダイゴ、ツイスト、甲斐バンド、オフコース、チューリップ、YMO、忌野清志郎を聴くのとは同じ耳で聴いていたのに対し、デュラン・デュラン、ラット、モトリー・クルー、アースシェイカー、BOOWYを聴くのと、それら以外のアイドルソングを聴くのとでは同じ耳ではなく、『これはアイドルだから』って言い聞かせながら聴き分けていたように記憶しています。もちろん、すごいアイドルソングも時にあって、そういう曲は世代を超えて売れていた」 と語る。 「アマチュアながらに『アイドルだろうが何だろうが、同じように作れば気持ちいいのに』って感じてたのをはっきり覚えてます。なので奥田民生さんがPUFFYで作ったあのサウンドを聴いた時は『はい、これ!』って思ったなぁ」
「I WISH」に込めた思い…“乗り越える”より“納得できる”
シャ乱Qが一時、切羽詰まった状況下でヒットを連発し窮地を脱したように、モーニング娘。も1999年の後藤真希加入と「LOVEマシーン」の大ヒットから人気に火がつき、本格的に軌道に乗った感がある。インタビュアー的に気になる2000年にリリースした10枚目のシングル「I WISH」に関して聞いてみた。一般的に「辛いことがあるから明るい未来がくるんだ」という言い方が多いと思われるが、「I WISH」の場合はなぜ「晴れの日があるからそのうち雨が降る、すべていつか納得できるさ」と歌わせたのかと。つんく♂の答えは、「いいことがあれば辛いこともあるがそれを『乗り越える』のではなく、『納得できる』と歌ってもらいたかった」。シャ乱Qとしても実績もあり、モーニング娘。としても売れて、まさにイケイケな時期の「I WISH」。 「世間的にはイケイケどんどんに見えるその裏側には、孤独感も不安もありました。ただ、すごい参加人数のオーディションという難関を超えてモーニング娘。のメンバーとなり一夜にして人気者になった彼女たちだけど、『この先はいいことばっかじゃないよ。結果をすべて受け入れることが人生となるんだよ』というようなことを、自分にも言い聞かせる意味も含めて、メンバーを通して伝えたかったように思います。たとえば、学生時代のあの頃の悩みって今思えば、ほんとどうでもよかったことだらけだったでしょ? 髪の毛切りすぎたとか、あこがれの先輩が他の女子と廊下で話してたとか。その時は死ぬほど落ち込んでこの世の終わりみたいに思ってたことも、今振り返ればどうでもいいこと。そのうちどうでもいい笑い話になるよ、ってね」