【小笠原道大コラム】ドラフト「選手の数だけ人生があり、ドラマがあるのがドラフト会議」
入団時点の細かったころの同期・高橋信二
【ガッツのフルスイング主義】 2024年プロ野球ドラフト会議」が、迫っています。 私は1996年11月のドラフト会議で、日本ハムから3位指名を受けました。この年は井口忠仁(のち資仁)選手(青学大→ダイエー)をはじめ、アトランタ五輪組が中心。しかし逆指名制度があったため“無風ドラフト”と評されるほど、波乱なく終わりました。 一方、私はといえば高卒-社会人の無名選手。社会人(NTT関東)3年目の94年に日本代表候補として呼ばれ、「プロ野球」の光が針の穴ほどは見えましたが、まだまだプロは漠然とした世界でした。そして4年目のドラフト当日、監督から急に「もしかしたら……」と声が掛かります。いつものように練習しながらも、心は躍りました。が、結局・・・
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週刊ベースボール