「こんなことになるんか」地震で生業失った漁師 漁再開も収入は半減、願う輪島港の早期復旧
期待と諦め 葛藤抱えた漁師
しかし出漁直前になっても沖崎さんの心境は複雑なままだった。 沖崎さんは「『そんな岩盤出てるのに出られるんかい』という声もあったが、なんとかそれにこぎつけた。今後一つ一つ徐々に解決していくしかない」と話す。 港はこの時点でまだ約3分の2が整備されておらず、至る所で座礁の危険性が残っていた。また魚を水揚げ後に箱詰めする「荷捌き施設」や「水槽」なども元日からほぼ手付かずで使えず、漁の環境は地震前の状態とはほど遠い状態だった。輪島の漁師たちは自分たちでルールを定め、ことしのカニ漁では1回あたりの網数を10網から5網と半分に制限。稼ぎ時への期待感も半減していた。 「もう不安なんかもう通り越して、諦めの領域。とりあえず出られるようになっただけでもいいかなと思っている」 沖崎さんは自分に言い聞かせるように思いを口にした。
地震後初の水揚げ 幸いカニは影響受けず
11月7日、複雑な心境を抱えながらも沖崎さんは沖に向かった。約16時間後、戻ってきた沖崎さんの船からは箱詰めされた大量のカニ。新設された仮桟橋とベルトコンベヤーを使い、慎重にカニを船から運び出していく。沖合30キロほどの場所をカニ漁の漁場としてきたが、その場所には地震の影響は見られなかった。 「第一歩やろうねこれが。これからの。これから刺し網漁とかも出てくるしまたどうなるか分からん。また一歩戻るかもしれんけど、まあとりあえず今日は一歩進んだって感じ」 水揚げされたカニは競りにかけられ、翌日には「輪島港」と書かれた水色のタグを付けて金沢市の近江町市場などに並べられた。市場には歓喜の声が響いた。「輪島がやっぱり元気が出てくれないと我々元気になれない。だから本当に輪島のタグ見た時に感動したね」 一方、沖崎さんは食べてもらえるのは嬉しいとした上で、こう言った。 「これで輪島が完全復活したと思われたくない。港の状態をみんなに見てもらいたい。まだまだこんなひどい状態やっていうのは多分結構知らない人も多いだろうし。」