ヤマザキマリ「長い海外生活で『日本の何が一番恋しくなりますか?』という質問に『デパ地下』と答える理由。イタリア人の夫も地下天国に取り憑かれて」
◆「なに!? この信じられない空間は……」 20年ほど前、11名のイタリアの親戚と友人で構成されるオバちゃんグループ(平均年齢65歳)を引率して日本を歩き回った時も、彼女たちが最も興奮したのがデパ地下だった。 「なに!? この信じられない空間は……」と瞳孔が開き、人の声など耳に入らないトランス状態に陥ったオバちゃんたちは、色とりどりの華やかなお菓子から美しくレイアウトされたお惣菜、パンや野菜や果物が並べられた地下空間を夢遊病にでもなったかのように彷徨(さまよ)っていた。そして皆、頭の中で同じことを考えていた。 「地表の下と言えば普通は地獄なのに、ここはまるで天国じゃないか!」 そして活気に満ちた販売員と、買い物に余念のない主婦たちのパワーにすっかり圧倒されていた。彼女たちはイタリアに帰った後も、集まる機会があればこのあまりに印象的だったデパ地下の話になる。 「あの地下天国は素晴らしかったわねえ、イタリアの食材もお惣菜も売っていたけど、悪くなさそうだったしねえ」 「あそこで買ったパンは世界一美味しかったわ」 「ガラスケースの中に並べられたお菓子の美しかったこと!」 「地下天国、最高よねえ」 オバちゃんたちの思い出話は尽きることがなく、今度日本へ行くことがあったら、もうお寺や名所旧跡巡りなんかいいから、その分2日間くらいゆっくりデパ地下だけを探索したいもんだわ、などと盛り上がっていた。
◆常設の食の博覧会場 デパ地下というのは、いわば常設の食の博覧会場である。昔であれば、レストランや食堂の店頭に飾られていた蝋細工を真剣に見つめつつ、視覚情報から味覚の想像を膨らませるというあの感覚を、デパ地下では思う存分に楽しむことができるのである。 ちなみに年末年始に日本に滞在していたイタリア人の夫も、デパ地下に取り憑かれている一人である。 「散歩してくる」と出かけては、数時間後に二子玉川のデパートの袋を提げて帰ってくる。時にはケーキ、時には魚の煮付けや焼き鳥。イタリア風の惣菜に、果物と生クリームの挟まったサンドウィッチ。 「ねえ、この辺の人たちは家で料理なんかしてないんじゃないの」と問うてくるが、一人暮らしならまだしも、家族で毎日デパ地下のお惣菜なんか食べてたら破産しちゃうよ、と答える。デパ地下のお惣菜は確かに安くはない。 夫が買ってきた、小さな容器に入ったラタトゥイユが500円。イタリアで500円分の野菜を買えば、何皿分ものラタトゥイユが作れるだろう。 でもデパ地下は、そのように値段が多少高いけど、滅多に作りも食べもしない惣菜を好きな分量だけ買い求めるという、ささやかな贅沢を楽しむ場所でもある。和洋中、エスニック、なんでも取り混ぜて、いろんな味を少しずつ楽しみたい。イタリアみたいに食に保守的な国では、こんな買い物のスタイルがそもそも定着するとも思えないわけだが、それでもデパ地下を訪れて感激するイタリア人を私はたくさん見てきている。
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