役所広司、浅田真央……多数の著名人を輝かせたファッションクリエーターが明かす「人生の輝かせ方」
スタイリストの育ての親は小泉今日子!?
俳優の役所広司や松坂慶子、長澤まさみ、満島ひかりらのスタイリストとして活躍する一方で、元フィギュアスケート選手の浅田真央の衣装デザインも担当した。表舞台に立つ人の輝きの陰には、ジュエリーブランド「CASUCA(カスカ)」の主宰を務めるファッションクリエーター安野ともこさん(65)がいた。 『なんてったってアイドル』が大ヒットした直後の20歳ごろの小泉今日子 「私は最初からスタイリストとして仕事を始めたわけではないんです。声をかけていただいて、これまで経験したこともないことなのに、見様見真似でやらせてもらったことで今があり、スタイリストとして小泉今日子さんに道を切りひらいてもらったと思っています」 実家は芸能界とは縁のない仕事をしていた安野さんが、どのような経緯から数多くの著名人を輝かせる裏方になったのだろうか。 1959年、埼玉県で生まれた安野さんの両親は店の仕事で忙しく、祖母と過ごす時間が多かった。裁縫好きな祖母の周りには、端切れやフェルトなどの手芸材料があふれていたという。 「祖母がフェルトでブローチを作って、洋服や帽子にいつもつけてくれたのがうれしかった」 祖母の姿を見て育った安野さんは、いつしか針仕事が好きになっていた。 「針仕事は母より上手になってね。リメイクなど、手作りの楽しさを知ったのはおばあちゃんのおかげかもしれません」 高校時代は、「早く大人の世界に入りたかった」という。西武百貨店に就職し、ショップを担当。洋服を扱ううちに、ファッションを勉強したくなり、バンタンデザイン研究所に入学。そのころ、現在はイラストレーターであり、エッセイストのこぐれひでこさんがデザインする服の存在を知り、その世界観に魅了され、影響を受けた。行動の人である安野さんは、憧れと熱い意志を抱いてこぐれさんのアトリエの門をたたいた。 ファッションブランド「2CV HIDEKO KOGURE(ドゥーシヴォー ヒデココグレ)」に勤務しながら、いろいろな人脈を育んでいくことになる。ファッション雑誌『Olive』や『an・an』でモデルをしたり、1984年には歌手デビューを果たしたりもした。 「その後はスーパーエディターの秋山道男さんの手伝いをして、コラムを書いて、小さなページで連載などしていたんです」 秋山さんは当時、7人組ロックバンド・チェッカーズや小泉今日子のプロデュースをするほかに、編集者やクリエーティブディレクターなど、多領域で活躍していた。安野さんは、秋山さんからさまざまな機会を与えられた。 秋山さんの下では、季刊誌『活人』で、衣装製作にもかかわった。このころ、写真集の仕事で小泉今日子に出会った。その後、秋山さん企画のCMに小泉が出る時に、友だちと仲良くしゃべっているシーンがあった。画面には映っていないが、その友だち役を務めたのが安野さんだった。 「せっかくいるのだったら、衣装も集めてきてほしい」 当時、スタイリストではなかった安野さんは秋山さんの要望に応える形で、似合うと思う衣装を集めた。すると、ある日、「小泉さんから、衣装を頼んでもいいのでしょうか? と声を掛けられたんです」。 それまでアシスタント経験もなかったため、簡素な携帯用の裁縫道具しか持参していなかった。時には他の人からはさみや道具を借りながらも、一つひとつの仕事を何とか成立させた無我夢中の日々から厚い信頼を寄せられることになった。小泉は『なんてったってアイドル』が大ヒットした直後の20歳前後、安野さんは26歳ごろのことだ。