「栗山英樹の哲学」から「一流」「二流」「超一流」の違いを知る
なぜ、靴を揃えなければ大成しないのか? 栗山は特に句点、「。」をつけることの重要さを、近著『監督の財産』でも伝えている。 無論、LINEのメッセージのことを言っているのではない。ふだんから何事も最後までやり切ること、区切りをつけることを文章における「。」になぞらえ、それを習慣化させることがいかに重要か、訴えているのだ。 栗山が大きな影響を受けた明治生まれの哲学者、教育学者である森信三は、著書の中で、子どもに9歳までに身につけさせてほしい「しつけの三原則」を説いている。 「しつけの三原則」 1、朝の挨拶を自分からする 2、名前を呼ばれたら「はい」と返事する 3、席を立ったら椅子をしまい、靴を脱いだら揃える 中でも、とりわけ栗山に響いたのが、「席を立ったら椅子をしまい、靴を脱いだら揃える」ことの大切さだ。 椅子から立ち上がる。椅子をしまって区切りをつけたとき、はじめて「。」がつく。 玄関で靴を脱ぐ。靴を揃えて区切りをつけたとき、はじめて「。」がつく。 その教えに触れた栗山は、ファイターズの監督在任中、(すでに大人である)選手たちにも同じことを求めた。 以下は、『監督の財産』からの引用だ。 練習メニューに30メートルのダッシュがあったとする。よく見るのが、30メートルちょっと手前で速度を落とす、というシーン。確かに抜きたくなるところだけど、本当にダッシュの効果を得たいのであれば、最後までやり切らなければならないのは自明だ。なのに最後の最後にふっと抜いてしまう。 手を抜かずに走れる選手と手を抜いてしまう選手の差は何かと言えば習慣だ。何事もふだんからやり切れるかどうか、そういうクセがついているかどうかで最後の一瞬の行動が変わる。だから、その習慣がない選手たちに、習慣をつけさせるには、「最後まで走り切らなければ気持ちが悪い」と感じてもらうようにすること、ふだんから何事もやり切るクセをつけさせる必要がある。 (『監督の財産』「第1章:監督のカタチ」より) そして、「。」がつかないプレーが習慣化してしまうと、最後の最後にミスが出る。それが10年間チームの指揮を執った栗山の実感だという。 この話を聞いて、筆者は「二流」と「一流」、さらには「超一流」の違いを言語化することができる、そう考えた。