「栗山英樹の哲学」から「一流」「二流」「超一流」の違いを知る
発売して3か月、栗山英樹の大著『監督の財産』は評判を呼び続けている。848ページと圧倒的なボリュームで綴られた「監督としての集大成」。 【写真】「分厚っ!!」……反響を呼ぶ栗山英樹の新しい1冊 その特徴は監督1年目から現在に至るまでの、「当時のリアルな言葉」がすべて記されていることだ。例えば「育成論」について、監督1年目と2年目は違うけれど、1年目と8年目が同じ――といった思考の過程がはっきりと読み取れる稀有な一冊なのである。 そんな一冊は「野球人」以外にも大きな示唆を与える。 『監督の財産』にある「当時のリアルな言葉」を聞き続けてきた放送作家の伊藤滋之氏に、栗山の言葉・哲学から読み解く人生へのヒントを記してもらった。 【12月21日にはコーチャンフォー札幌通り店に著者・栗山英樹氏が来店、サイン会とトークイベントを行う。詳細はこちら】 LINEのメッセージに「。」は必要か? ある日、栗山英樹(北海道日本ハムファイターズCBO)と食事をしていて、「LINEの絵文字」の話になった。 どうということはない。使い慣れるとクセになってつい多用しがちだが、安易な絵文字頼りは考えもの、そんな内容だ。 絵文字そのものは豊かな感情表現を得意とするが、時と場合によって、あるいは文脈によって、いつもと同じ絵柄なのに受ける印象が違う、そんな経験はないだろうか。 ゆえに、たとえば返信をそれだけで済ませようとすると、伝えたかった感謝の気持ちがストレートに伝わらなかったり、かえって心無い印象を与えてしまったり、思わぬ誤解を招くことがある。絵文字を多用した長文は禁物、という指摘も多い。 絵文字は確かに便利だが、思うほど万能ではないのだ。 そんな取るに足らない雑談から、ほどなくして話題は「句読点」へ。 言うまでもなく句点は「。」、読点は「、」、文章の終わりや区切りに付ける記号のことだ。 この句読点、はたしてLINE上でやり取りされるメッセージに必要か否か? 承知しました。 承知しました 便宜上、「大人世代」と「若者世代」に分けてみよう。 大人世代は、無意識のうちに句読点を多用し、「承知しました」には「。」を付ける傾向がある。一方の若者世代は、「承知しました」に「。」を付けない傾向があり、「、」の多い長文のメッセージにはストレスを感じる者が少なくないという。 LINE上での句読点には会話を遮断されたかのような冷たい印象があり、若者同士のやり取りでは、「。」は怒っていることを意味する際にも使用されることがあるらしい。 ゆえに先輩から、はたまた上司から届いた短いメッセージに「。」が付いていようものなら、そこに威圧感や恐怖心を覚えるというのだ。 このように句読点がついた文章にストレスを感じる現象には、ご多分に漏れず「マルハラ」(マルハラスメント)という呼び名まで付いている。 そもそもLINEがプライベートなコミュニケーションアプリとして定着したことが大きく影響していそうだが、背景はさておき、どうやら目上の者、あるいは年上の者が年下に送るメッセージに句読点を用いることには少しばかり慎重になったほうがよさそうだ。 と、この話題にはさすがに一同閉口気味だったが、おかげでそこから栗山の根っこにあるもの、監督としてのスタンスを改めて聞くことができた。