「奇跡のバックホーム」の横田は28歳で夭折。怪童”中西や〝フォークの神様”杉下も旅立つ【2023年に世を去った日本球界のレジェンドたち】<SLUGGER>
2023年も、かつてプロ野球の世界で活躍した多くのレジェンドがこの世を去った。年の瀬の今、改めて彼らの足跡を改めて振り返り、我々の心を熱くさせてくれた現役時代の雄姿を偲ぶとしよう。 ●門田博光(1948年2月26日~2023年1月26日/享年74) 40歳だった1988年、南海(現ソフトバンク)でリーグ最多の44本塁打&125打点を記録し、“不惑の大砲”と呼ばれたスラッガー。とにかく常にフルスウィングすることを身上とし、70年のプロ入り時に指揮官だった野村克也から幾度となく「大振りするな」と注意されても頑なに応じなかった。そのこだわりたるや、”世界の本塁打王”こと王貞治から「ヒットの延長線がホームラン」と諭されても「そんなはずはない!」と言い放ったほどだという。 王、野村に次ぐ歴代3位の通算567本塁打は、まさにそのこだわりから生まれたもの。92年限りで現役を引退した後は解説者などを務めていたが、現役時代から悩まされた糖尿病などの悪化により、ここ数年は療養生活を送っていた。 ●ロベルト・バルボン(1933年3月13日~2023年3月12日/享年89) 革命前のキューバで生まれ、マイナーリーグを経て55年に阪急(現オリックス)入りした韋駄天。「日本はキューバと同じ島国」と聞いて来日を決めたが、いざ来てみたら冬の寒さに辟易させられたという。それでも持ち前の陽気さでチームに溶け込み、自慢の俊足で盗塁王を3度獲得するなどリードオフマンとして活躍した。 キューバ革命により祖国に帰れなくなる悲運に見舞われたが、持ち前のバイタリティで日本に根を下ろす。現役引退後は関西弁を流暢に操る語学力を武器に、2010年代まで通訳や球団職員として球団に貢献した。90歳の誕生日前日に、急性肺炎により息を引き取った。 ●中西太(1933年4月11日~2023年5月11日/享年90) 高校時代から”怪童”とあだ名されていた稀代のスラッガー。52年に西鉄(現西武)入りし、2年目には史上最年少の20歳でトリプルスリーを達成。「ファウルチップでボールから焦げた匂いがした」「外野手が前進したライナーの打球がスタンドに入った」「推定162メートルの史上最長弾を放った」など、打棒のすさまじさから数々の伝説を残している。 20代前半だけで4度も三冠王に肉薄したが、キャリアの後半は腱鞘炎に悩まされて成績が急落。62年からは監督を兼任したこともあって出場機会が減少し、69年限りで引退。その後は打撃コーチとして手腕を発揮し、岡田彰布(現阪神監督や)イチロー、岩村明憲ら数々の名打者を育て上げた。老境に入っても元気な姿を披露していたが、今年5月に90歳で天寿をまっとうした。
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