「奇跡のバックホーム」の横田は28歳で夭折。怪童”中西や〝フォークの神様”杉下も旅立つ【2023年に世を去った日本球界のレジェンドたち】<SLUGGER>
●毒島章一(1936年1月14日~2023年5月14日/享年87) 歴代2位の通算106三塁打を放った“ミスター・フライヤーズ”。”駒沢の暴れん坊”と呼ばれていた時代の東映(現日本ハム)にあって、卓越した打撃技術と走塁で打線の中心となっただけでなく、張本勲ら無頼派選手たちを、穏やかな性格とリーダーシップで束ねた。 通算2000安打まであと23本まで迫りながらも、「記録のためにチームに迷惑をかけたくない」と、東映ひと筋18年のキャリアを終えたのが71年。その後は引退後は東映や西武でコーチやスカウトを歴任した。ここ数年は腰を痛めて歩行が困難になったため球界から遠ざかり、今年5月に前立腺がんのため都内の病院で亡くなった。 ●杉下茂(1925年9月17日~2023年6月12日/享年97) 沢村賞を史上最多タイの3度獲得したドラゴンズ史上最強エースにして、”フォークの神様”との異名を取った名投手。185センチの長身に黒ブチメガネをかけた個性的な風貌ながら投じた必殺のフォークは“打撃の神様”川上哲治をして「捕手が捕れない球を打てるわけがない」と言わしめる驚異的な落差を誇った。 通算215勝を挙げて現役を退いた後は、監督や投手コーチとして阪神、巨人にも在籍。90歳を超えても中日の春季キャンプで精力的に指導を行う姿が名物になっていたが、コロナ禍以降は現場から遠ざかり、今年6月に肺炎で亡くなった。 ●北別府学(1957年7月12日~2023年6月16日/享年65) 投手王国と呼ばれた80年代カープ随一の名投手。球威はないが”精密機械”とあだ名された卓越した制球力でエースに上り詰め、86年には沢村賞とMVPをダブル受賞してリーグ優勝に貢献した。「ホームベース上に置いた3本の空き缶を3球で全部倒した」「引退後にストラックアウトでパーフェクトを達成した」など、その制球力を示す逸話は多い。 92年に20世紀最後の200勝を達成し、その2年後に引退。その後は解説やコーチ業のかたわら、沢村賞の選考委員やYouTuberとしても活躍したが、20年以降は白血病との闘病が続き、今年6月に65歳で死去した。
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