108歳で世界最高齢の理容師、借金返済で奉公、夫の戦死…波乱万丈の人生を支えた最後の“約束”
心中寸前の心を救った夫と
その日から、ハサミを握る気力も、生きる気力も失ってしまう。シツイさんは娘の充子さんにこう言った。 「大きくしてあげられなくてごめんなさい。お母ちゃんとお父ちゃんとこに行こう」 心中を図ろうと考えたのだ。ネズミを殺す「猫いらず」という毒を飲み、3人で死のうと。幼い充子さんは「お母ちゃんと一緒ならいいよ」と言ったが、英政さんはイヤだと言って家を飛び出し、近所の親戚宅まで助けを呼びに行った。心中は未遂に終わった。 「あのころの母は何を言っても反応がなかったですね。その後もずっと雨戸を閉めたままでね。暗い部屋の中にぽつんといるんですよ。また猫いらずを姉と2人で飲んじゃうんじゃないかと毎日、気が気じゃなかったです」 未遂から1週間後、英政さんが学校から帰ると、雨戸が開け放たれ、部屋の中に光が差し込んでいた。シツイさんは明るい表情で言った。 「お母ちゃん、お店出すよ」 そしてこう続ける。 「お父ちゃんの言葉を思い出したんだ。兵隊に行くとき、かなりお金を残してくれたんだ。そのお金は全部使ってもいいから子どもたちだけは頼むと。心中するのは、お父さんとの約束を破ることだ。だからお店出して、頑張るよ」 '53年8月、新しい場所で『理容ハコイシ』を開店。店には5年前に取り直した理容師免許証が掲げられた。この免許証にはシツイさんの技術の高さを物語るエピソードがある。英政さんが明かす。 「母の実技を見た試験監督が、絶賛したんです。『この人の右に出る者なし』と。そのあと試験監督自らカットモデルになり、母がカットするところをその日の受験者に見学させたそうですよ」
商売上手! お小遣い作戦で繁盛
シツイさんは技術力にあぐらをかかず、地域の人が店に来やすいよう営業した。 田植えの時季には朝6時から店を開け、夜は仕事終わりの人でいっぱいになるため、夜10時ごろまで営業した。 「理容師組合の規則では、営業は朝8時から夜8時までと決まっていたんですが、お客さんの都合に合わせようとすると、仕方なかったんです。大みそかなどは元日の朝まで仕事していましたよ」 シツイさんは機転の利いたサービスでも客を喜ばせた。「“お駄賃”を子どもにあげたんですよ。散髪代が500円としたら1割の50円をお小遣いとしてね。駄菓子で自分の好きなものを買えるでしょ。大人にもあげましたよ、お駄賃。いくつになってもお駄賃はうれしいものですよ」 いわゆる「キャッシュバック」だ。シツイさんは、人は何をされたら喜ぶかをいつも考え抜いていた。 その結果、客が絶えない人気店になったが、忙しくて家事や食事の時間は十分に取れない状態だった。それを支えたのが長男の英政さんだ。 料理は肉じゃがなどの煮物や、焼き魚などを作った。母親に教わったわけではなく、親戚の家に行ったときに味見をさせてもらい舌で覚えた。 「昼ごはんは、ヒゲそりの前の蒸しタオルをかけている時間に、ササッと食べてましたね。英政が店の窓をトントントンと叩いて『昼ごはんできたよ』と合図してくれて。うどんとかすぐに食べられるものが多かったです」 大変だったのは水くみ。戦後長く、水道が完備されなかったので、50メートルほど離れた場所に湧き水をくみに行き、バケツで18往復ぐらいした。家の前にある小学校で英政さんが野球をしている最中でも、シツイさんが「英ちゃーん、水お願い」と頼み、泣く泣く練習を中断することもよくあった。