108歳で世界最高齢の理容師、借金返済で奉公、夫の戦死…波乱万丈の人生を支えた最後の“約束”
悪事は成敗! 厳しすぎる子育て
それだけを聞けば、親の仕事を手伝う立派な息子、ということになるが、いたずら盛りの幼いころはしつけに手を焼いた。 例えば4歳のときの“どぶろく事件”。どぶろくという自家製のお酒が入った瓶を勝手に開けて飲み、酔っ払ったところを近所の女性に保護され、背負われて帰宅。激怒したシツイさんは、息子を氷の張った池にドボン! その上、尻を何発も叩いた。 “借金事件”もあった。英政さんが母親からお使いを頼まれ、そのおつりで勝手に買い物をし、バレるのがマズいと思って親戚から50円借りたのだ。返してくれないことを親戚がシツイさんに伝えると、怒りが爆発。高い橋の上に連れていき、30センチは積もる雪の上で正座をさせた。 「そんな悪い子は、この橋から飛び降りて死んでしまいなさい。世間に迷惑をかける人になっては困るから。1人が怖いのなら、お母ちゃんも一緒に飛び降りてあげる」 英政さんは何度も「もうしません」と謝るが、なかなか許してくれなかった。縄でぐるぐる巻きにされることもたびたび。厳しいしつけの裏にはシツイさんの信念があった。 「父親がいない家だから、子どもがあんなふうになるんだと言われないように、厳しく育てようと思っていたんです」 シツイさんには息子に理容店を継いでほしいという願いがあった。だが、息子は「ごはんもゆっくり食べられない床屋はイヤ。早稲田大学を受けさせてほしい。ダメなら床屋になる」と言った。 「英ちゃんがいなかったら、店は続けられなかった。だから大学に行きたいなら、お金を出してあげようと、それまで以上に働きました」 英政さんは猛勉強の末に早稲田大学に合格。テレビ局などで働き、80代でリタイア後も、健康茶の製造・販売で独立起業するなど、ひるまず、人生の挑戦をしてきた。
母と娘の衝突、障害と自立
一方、長女の充子さんへの子育てはどうだったのだろう。 充子さんが1人暮らしをする市営住宅を訪ねた。玄関を入ると、自身で編んだというワインカラーのセーターを着た充子さんが車椅子で迎えてくれる。 「いらっしゃい」 傍らには24時間交代制で身の回りのサポートをしてくれるヘルパーがついている。 シツイさんによると、充子さんの子育ては試行錯誤の連続だった。障害のある充子さんの通学を学校が認めなかったため、家で勉強させながら、ひとつでも「できること」を増やそうと努めていたという。 幼少期の母との思い出を充子さんはよく記憶している。 「母は私が起きる時間には仕事をしていて、一日中立ちっぱなし。夜に『リア王』『小公女』『ピノキオ』などの絵本を読み聞かせてくれました。毎晩、川の字になって、真ん中にお母さん。でもお母さん、疲れているから、途中で寝てしまって、何度読んでも、絶対に最後までいかないんですよ。おかげで何とかして続きが知りたいから、必死で文字を覚えたんです」 充子さんがケラケラ笑う。 計算の勉強は店に関わる数字が題材だった。 「母は家計簿をつけていて、今日お客さんが何人来て、売り上げがどれぐらいかを足し算するんですが、そのとき私も一緒に計算しました。お母さんが働く姿をそばで見ながら、いろんなことを教わりましたね」