108歳で世界最高齢の理容師、借金返済で奉公、夫の戦死…波乱万丈の人生を支えた最後の“約束”
商売は発想力! 夜な夜な名刺作戦
夫婦で新宿区下落合に理容店を開いた。住居は2階。周辺には、関東大震災を機に日本橋周辺から転居してきた問屋などが邸宅を構えていた。 最初は客が来ず、「銀座に移ろうかと悩んでいた。しかし、持ち前の発想力で好転させる。 「チラシを配ってもお手伝いさんが捨ててしまうんですね。でも、お店の名刺を投函したら、旦那さまの机に置いてくれるんじゃないかと。仕事の後、夜10時ごろから主人と名刺を配り始めたんです。犬に吠えられたりしながらね」 すると“熱心な若い夫婦が店をやっている”と評判が広まり、旦那衆が来てくれるようになったという。 サービス精神旺盛なシツイさんは子どもにも人気だった。 「舌を丸めて、カエルの鳴きまねをすると、子どもたちが喜んで、『あのおばちゃんじゃなきゃイヤ!』と言うようになったんです。今は入れ歯だからできないけど(笑)」 店は繁盛し従業員は10人に。みんなの頑張りをねぎらうため、週末の閉店後に従業員を2階の茶の間に呼んだ。 「トランプで勝った人にみかんや落花生をあげるゲームをしたんです。みんな喜んでくれてね。忙しくても、機嫌よく働いてくれましたよ」 私生活では、'40年に長女・充子さんが、2年後に長男・英政さんが生まれたが、充子さんは生後数か月のときに高熱を出し、脳性まひに。心を痛めながらも子煩悩な夫は2人をかわいがった。営業時間内でも、客がいないと2階に駆け上がり、子どもと遊んだ。 しかし楽しい時間は長くは続かなかった。
亡き夫に今も謝りたいこと
シツイさんには80年たった今でも、忘れられない光景がある。'44年7月16日、夫に召集令状が届いた。3日後の出征日に見た最後の夫の姿だ。 「近所の人が見送りに来てくれたんですが、主人が家から出てこない。2階に上がったら、鼻からも目からも水が出て……服がぐしょぐしょになるぐらい泣きながら子どもたちを抱きしめていて。私にひと言だけ、『この子たちを頼む』と。優しい人でね。かわいそうでした」 夫がようやく玄関に現れたとき、出征につきものの「万歳」と「軍歌」はなく、ひっそりとしていた。すでに日本は負けるのではないかというムードが漂っていたのだ。 出征から半年後、夫からハガキが届いたことがあった。文面は「新宿駅12時30分通過」。車窓越しでもいいから子どもを見たかったのだろう。しかし当時の列車は超満員で、子どもをおぶって行けば、圧死する危険があった。 「夫の気持ちは痛いほどわかりました。でも、行かれなかったんです。あのとき子どもを見せてあげられなかったのが心残りで。なんで私は行ってやれなかったのか。それはずっと、今も私の中に後悔としてあります。あのときはごめんなさいねと」 シツイさんの声が心なしか震えていた。