豊臣秀吉が愛飲した、お寺の酒とは? 寺院で確立された「日本酒づくりの原型」
日本酒づくりの原型が確立した室町時代
仏教の力は、奈良から室町時代にかけて徐々に高まっていきました。権力が国から寺に移っていくにつれ、酒づくりの舞台も国から寺に移動していき、寺での酒づくりがはじまりました。「寺での酒づくり」と聞くと不思議な気がしますが、実は寺は当時のバイオテクノロジーの最先端機関でした。その理由は5つ挙げられます。 ①経済力:貴族から集まる潤沢な寄付があった ②労働力:体力を持て余している修行僧が大量にいた ③情報力:海外留学をしていた渡来僧が最先端の知識をもたらした ④環境:俗世に惑わされずに研究できた ⑤政治:本来、寺では酒は造れないが治外法権の特権を持っていた 以上の理由を踏まえると、寺での酒づくりは必然とも言えます。 寺院で造ったお酒は評判が良く、総称して「僧房酒(そうぼうしゅ)」と呼ばれました。その中でも菩提山正暦寺(奈良県奈良市)の「菩提泉(ぼだいせん)」は知名度が高く人気のお酒でした。 日本初の民間の醸造技術書『御酒之日記(ごしゅのにっき)』には、段仕込み、火入れ、乳酸菌発酵など、現在の日本酒づくりの原型とも言える造り方が記されており、特に加熱殺菌はヨーロッパの細菌学の父と言われるパスツールの発見よりも300年近く前に日本で採用され、当時の酒造技術の高さが窺えます。ちなみに、現在のビールやワイン、牛乳にも採用されている低温殺菌法「パスチャライゼーション」は、パスツールの名前に由来します。 『御酒之日記』には「菩提泉」のレシピが書かれています。当時、原料の米は玄米と白米の2種類を使うのが一般的でしたが、正暦寺では全量白米で酒づくりを行いました。全部を白米で造るので「諸白(もろはく)」と言います。諸白の味への影響は大きく、画期的な発明だったそうです。 さらに、生米を使う独特の製法で力強く芳醇なお酒を醸しました。この製法を「菩提酛(ぼだいもと)」もしくは「水酛(みずもと)」と言います。 この製法は、歴史の流れで一時途絶えるものの、近年注目され、実際に取り入れる酒蔵が増えています。時代を先取りした斬新な製法は、室町時代に生まれていたというのが驚きです。