岸田首相「Xデー」は8月28日か 【政眼鏡(せいがんきょう)-本田雅俊の政治コラム】
パリオリンピックも、間もなくフィナーレを迎える。代わってではないが、今度は永田町で自民党総裁をめぐる“武器なき戦い”が始まる。8月20日の選挙管理委員会で日程が決まれば、動きは本格化する。立憲民主党も9月に代表選を行うが、国民の関心は低い。本当に政権交代が期待されているのであれば、野党第一党の党首選はもっと注目されていいはずだ。 総裁任期は9月30日に満了するため、投開票日はその前の20日から29日までの間になる見通しだ。自民党が再生に向けて熱弁を振るう姿を広く国民にアピールしようと、選挙運動期間を現行の12日間より長くすることも検討されている。つまり、早ければわずか1カ月後には総裁選が始まるわけだが、不思議なことに、正式に立候補を表明した者は今なお皆無である。 石破茂元幹事長は婉曲的ながらも総裁選への5度目の挑戦の意欲を示し、自著「保守政治家、わが政策、わが天命」も上梓したが、それでも正式な出馬表明はまだ先だ。「盆明けの19日の週になるのではないか」(側近議員)という。同じく意欲を見せている茂木敏充幹事長にいたっては、「最初に手を挙げることはない」「来月上旬までに立候補するかどうか判断したい」と煮え切らない。 選挙まで1カ月を切ろうとしているにもかかわらず、誰も正式に名乗りを上げないのは、岸田文雄首相が「先送りできない課題に全力で取り組んでいる」と述べるだけで、自らの去就を明らかにしていないことが一因だ。無役の石破氏はともかくも、現執行部や閣僚は「形の上では総理総裁の部下」(自民国対関係者)になることから、岸田首相が進退を明言する前に寝刃を合わせれば、“逆臣”のレッテルが貼られる。 しばしば引き合いに出されるのは、2012年に谷垣禎一総裁が続投を目指す中、石原伸晃幹事長(いずれも当時)が立候補を表明したときのことだ。結果的に谷垣氏を不出馬に追い込んだことから、石原氏は麻生太郎元首相から「平成の明智光秀」と激しく罵られた。茂木幹事長や高市早苗経済安保相、河野太郎デジタル相などがまだ表立って動けない大きな理由の一つは、まさに後世、「令和の明智光秀」とやゆされたくないからだ。 客観情勢の分析に時間をかけているとの見方もある。無謀な戦いに挑んで惨敗すれば、「負ければ賊軍」のたとえのように、冷や飯を覚悟しなければならないし、下手をすれば政治生命そのものが断たれる。自民党に強い逆風が吹き、派閥の機能が大きく変容しつつある今、総裁選に挑むことは従前以上にリスクを負うから、十分な瀬踏みは致し方がない。 岸田首相がまだ態度を明らかにしていないのも、情勢分析や根回しに時間をかけているからだろう。麻生副総裁や森山裕総務会長、木原誠二幹事長代理らの意見には「聞く力」を発揮しているという。もっとも、出馬表明を遅らせることは、「現職の強みを最大限に生かす戦略」(自民中堅)でもあるらしい。現職首相にとって日々の活動はそのまま選挙運動になるため、挑戦者と異なり、慌てて出馬表明しなくてもいいわけだ。 だが、続投を目指すのであれば、岸田首相はいつか必ず出馬表明をしなければならない。総裁選の日程や予期せぬ状況変化にもよるが、現時点では、「Xデー」は8月28日になるのではないか。というのも、政治家は意外にも縁起や迷信が大好きな“種族”である。岸田首相もその例外ではなく、初めて総裁選に挑んだ2020年も、翌2021年も、実質的な出馬表明は「先勝」の日に行われた。8月28日の六曜はまさに「先勝」だ。 当然のことながら、外遊や終戦記念日、パリパラリンピックなどの日程も勘案される。8月22日も9月8日も「先勝」だが、3年前の総裁選では、岸田首相は投開票日のおおむね1カ月前に出馬への思いを語っている。「大安の方が縁起がいい」との指摘もあるが、2年前に長男・翔太郎氏を政務秘書官に起用した日は、皮肉にも「大安」だった。 もちろん、岸田首相が出馬を断念する可能性も低くはない。米国ではバイデン大統領がペロシ元下院議長らに首に鈴をつけられ、再選を断念した。麻生副総裁らが「無理だ、やめておけ」と引導を渡さないとも限らない。もしも岸田首相が自分を客観的に見ることができるならば、潔く身を引くだろう。その場合、尊敬する池田勇人首相(当時)に倣い、スポーツの祭典への敬意から、パラリンピックの閉幕を待って、9月9日あたりに退陣を表明するかもしれない。 だが、自民党のベテラン議員の一人は、「総理の出馬・再選の可能性は、まだ支持率ほどは残っている」と意味深長に語る。3割の内閣支持率はかなり低いが、野球の“3割バッター”はそこそこ打つという意味かもしれない。 【筆者略歴】 本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。