阪神から戦力外→2球団から打診も…愛妻の一言で“翻意”「終わった方がいい」
横浜&ハムから誘いも…気になったそりの合わないコーチの存在
シーズン終了後、他球団からの誘いがあった。「自分から動いたわけではないけど、横浜から話はありました。『テストを受けに来ないか』って。でも断りました。“来てくれ”だったら行きますけど、テストを受けてまではやりたくなかったんです」。最後まで悩んだのは日本ハムだった。「阪神の西山(和良)編成部長から連絡あって『日本ハムから話があるけど、どうする?』って言われたんです」。 日本ハムはテストの誘いではなかったが、この件では、そりが合わなかったコーチの存在が気になったという。「行ったところで使われないんじゃないかと思った。例えば自分と若い子の力が一緒だったら、若い子を使うだろうし、チャンスも少ないよなぁとか、そこまで抑える自信もないかなぁとか、またしんどい思いをするのも嫌だなぁとかもね……」。結果、日本ハムも断り、現役続行も断念して引退を決断した。 「やっぱり冷静に考えたら、何が何でも現役、というのはなかったかなって思った。女房からも『もうやめとき、阪神の中田で終わった方がいいんじゃないの』って言われて、それもそうだなぁって思いましたしね。最後は自分で決めて、西山さんにも『辞めます』と言いました」 通算成績は226登板で33勝23敗14セーブ、防御率4.73。阪神だけで過ごした14年間のプロ生活は右膝痛、右肩痛、右腕血行障害、右肘痛と怪我との闘いの日々でもあった。「辞めたことで、あの痛みから解放されたのが一番ですかね。でも、やっぱり寂しいなと思ったのは、ああいう緊張感の中でもう野球ができないこと。だってなかなか味わえないじゃないですか。あの大観衆の前で、っていうのはね」。 怪我によるコンディション問題で、活躍した時期とそうではない時期が両極端なプロ野球人生ではあったが、阪神がリーグ優勝&日本一を成し遂げた1985年に12勝を挙げたV戦士だったことは燦然と輝く。「あの時に0勝1敗で何も参加できなかったら、そんないい思い出はなかったでしょうしね。まぁ、たまたま、その年に貢献できてよかったんじゃないですかねぇ……」。控えめながらも中田氏は笑顔でそう振り返った。
山口真司 / Shinji Yamaguchi