「2050年に地球温暖化による破局が来る!」と怯える前に、酸素と水と食料の現実の話をしよう
そのうえ、きわめて重要な天然資源のうちでも、酸素ほどアクセスが平等なものはない。地元の大気汚染のレベルがどれほどであろうと、世界中のどの場所でも、標高が同じであれば、誰もが同一の濃度の酸素を思う存分吸い込むことができる。 そして、チベットやアンデス山脈といった標高の高い場所に暮らしている人々は、血中のヘモグロビン濃度を上げることをはじめとして、低い酸素濃度に対する多くの目覚ましい適応を見せてきた。 要するに、酸素については心配すべきではないということだ。 一方、水の供給の将来については、憂慮しなくてはならない。地域や国家や全世界のレベルでの多くのモデルを使って、将来の水の利用可能性が検討されてきた。 それぞれ想定する地球温暖化の程度が異なり、最悪の筋書きは一般に悪化する一方の見通しを提示するものの、人口増加とそれに伴う水の需要に関してどのような前提に拠って立つ必要があるか次第で、そうとう不確かなところがある。最大2度(摂氏)までの温暖化では、気候変動によって悪化した水の欠乏に直面する人は、少なければ5億人、多ければ31億人になるかもしれない。 1人当たりの水の供給は世界中で減るだろうが、ラプラタ川やミシシッピ川、ドナウ川、ガンジス川などの主要河川の流域は、欠乏レベルよりもはるかに上の状態にとどまるだろう。一方、すでに水量が乏しくなっている河川の流域の一部は、さらに状況が悪化する。特にはなはだしいのは、トルコとイラクを流れるティグリス川とユーフラテス川や、中国の黄河かもしれない。 ● 水不足対策の鍵は需要管理 少ない水でのやりくりは可能 だが、需要主導型の淡水の欠乏のほうが、気候変動に起因する不足よりもはるかに影響が大きいということで、ほとんどの研究の示す見解が一致している。 そのため、将来の水供給対策の最善の選択肢は需要の管理であり、それがうまくいっている大規模な例の1つが、アメリカで近年に見られる1人当たりの水の利用量の削減だ。2015年のアメリカ全体の水使用量は、1965年の使用量よりもわずか4%足らずしか多くなかった。だがその50年間に、人口は68%増え、GDPは実質ベースで4倍以上になり、灌漑されている農地は約40%増加した。